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1360年の終わりに2017年

今年もこれで最後のブログ記事になる。大変大変と思ってきた1日1日も、終わってみれば、あっという間のことに感じる。

充実していたのかと自問する。

今年は、やっぱりなんだかんだと言ってもポケモンGOにはまっていたなと思う。それは2014年マラソンを完走したあの頃と比べてどうだったのか、と思ったりもする。でも、まあ、充分楽しんだことも事実なので、よしとしよう。

しかし、もっとお城へ行きたかった、もっと遠くへ行きたかった。

もっと本を読みたかった、もっと、いろいろ書きたかった。

いくら頑張っても、もっともっと頑張りたいのかもしれない。

焦ってみても始まらないから、ひとつひとつ、また来年、しっかり実らせるように頑張ろう。その成果だけ集めて、満足できればいい。

ブログをこなすのにいっぱいで、なかなか書きたいことが書けない、今年もそんなブログだったような気がするが、何と言っても、アクセス数の伸びが嬉しかった。

訪れていただいた方々、ありがとう、ありがとう、ありがとうございます。

また頑張るからね、よろしくお願い致します。

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1359今年2017年の私のネット状況

昨年末の記事を参照しながら、現況を記しておこう。

やっぱり今の状況もtwitterとブログで変わってない。

twitterはiPadで読むことが多くなった。スマホでは読むに辛いというのがもっぱらの理由で、それを思うと老眼がすすんだのかもしれない。

スマホだと、いつでもどこでも、という感じでtwitterに熱くなっていたが、やや熱が冷めつつあるようだ。

アプリは今はTweetbot。これは有料アプリだが、思い切って導入してよかった。使い勝手はJanetterやついっぷるより断然いい。動作も安定している。

iPadをカバンに入れて持ち運ぶことが多くなったが、いつもと思うと、けっこう重たいものだと思う。また、iPadについては前からよくこぼすのだが、文字入力がしづらい。たまには文字入力をするのだが、どう頑張ってもダメだ。

だから、スマホで発信して、或いはPCのJanetterやその他諸々のアプリで発信してと、相変わらずヘンテコな使い方だ。

最近、グループDMという機能をはじめて使った。というか、オフ会などの連絡がグループDMで来た。複数の方と同時に連絡を取れるのは便利だけれど、これは公式アプリでないと読めないらしい。

変則さに輪をかけてくれた。

一長一短のものばかり、なんだな。

相変わらずタイムラインを逐一追っている。今が適量かと思っているので、フォローを増やす気はない。

それでも、最近オフでごいっしょした方を増やした。来年はどんな出会いがあるのだろ。今がいっぱいいっぱいで、と思っているが、ちょっとはそんな色気もある。

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ブログはランダムに読んでいる。昨年といっしょだ。

nice! を元に次々と渡り歩いている。nice!=既読マーク、くらいの感覚。

ただこれだとso-netのブログしか読めない。それが残念だ。また、敢えてnice!を付けない方々、そんなサイトも行けない。残念、残念。

ただ、私も以前はnice!を付けなかった人、まあそれは仕方がないかな、というところ。状況がかわれば変わっていきそうだが、暫くはnice!読みが続くだろう。

nice! を元に気楽に読み漁る方式は楽しい。

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キレイな写真を並べてみたい、そんな思いでインスタグラムを手を出してみた。アカウントを取得し、既に発信もしたが、なんだかtwitterと被るようで、進展していない。インスタグラムに独自の価値を見つけられるのか、もう少しインスタをいじってみないと、わからない。

Facebookは、止まったまま。実名が表に出てくることには、独特なものがあって、その長所と短所を感じる。twitterとは一線を引いた使い方をしてみたいが、戸惑いも多い。ただ今は気にしているが、時間もないので、そのままにしている、というのが実際のところだろう。

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来年は、いよいよブログ容量が天井になりそうだ。夏頃には、ブログ打ち止めの状況になるのかなと思う。

一度区切りをつけて考えてみたいこと、やってみたいこともある。

今はそれを見据えて、最後のスパートというところだろう。

急がずあせらず/ どこまでゆけるか/倒れたところが目的地

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1358二位谷奥付城(兵庫県) [城印象記]

三木合戦付城めぐりの続きです。

二位谷奥付城(にいだにおくのつけじろ)と呼ばれるものは3つあります。まず、二位谷奥付城Cです。

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位置するのは丘陵状の斜面です。途中に駐車場があります。

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遺構の削平地を利用しているのかもしれません。その丘側には、土塁らしき盛り上がりを感じたりしましたが、果たしてどうでしょう。

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そこから150m程北上したところには二位谷奥付城Bがあります。

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ここも丘陵の途中に削平地と思われる場所がありました。

城の名残を感じることはできますが、構造などを読み取るのは無理ですね。

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地図と資料を確認しながら、丘陵上の小道を歩きます。

途中には二位谷土塁Aという遮蔽土塁もあります。藪でとても確認はできません。藪を踏み込んでも、起伏を確認するのは難しいでしょう。

しかし、藪ならば遺構が残っている可能性はあります。藪がきれいに無くなってしまうと、開発の手が伸び、更地になって遺構が消滅してしまうおそれもあります。そう考えると、薮状態も許せるでしょうか。

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丘陵上の小道を続けて歩きますが、実はこの道が本来あった道というか、旧道でして、この道を歩いて考察できたのはよかったです。

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旧道 義経みちの案内図

この道は古い白川街道といわれ、寿永3年(1184)820年程前に源平一の谷合戦の折、京都より三草を経て鵯越へ義経軍が通った道であると伝えられております。その街道の名残がこの道である。

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この旧道沿いに付城が並んでいます。

二位谷奥付城Bから北西400m程の地点、この丘陵の上の小道が、谷を走るきれいな新道と合流するあたりに二位谷奥付城Aがあります。

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資料本には「曲輪の周囲を完全に土塁が囲続し、土塁の高さも高く」と説明がありました。この付城たちは三木合戦3期のものになり、中でもこのAは三木城最前線のひとつになります。期待して訪れた付城でした。しかし、そこには何もありませんでした。

城を見にいって、何か遺構があっても何もないと言われることは多いのですが、ここは本当に何もありません。発掘調査はされたようですが、その後の開発で消滅したのでしょう。

残念です。

仕方ない事情もあることでしょうが。

その場の風景をカメラに収めて、さよならしました。

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1357二位谷土塁B福井城山土塁福井土塁M(兵庫県) [城印象記]

三木合戦付城めぐりは続きます。

三木合戦は、長期にわたる兵糧攻めで有名ですが、その戦いもおよそ3期に区分され、川を挟んで北側に対陣した1期、南側に毛利からの兵糧道を遮断し囲みを強化した2期、更に陣を進め三木城近くに対陣した3期、それぞれの付城が残っています。

2期には付城の間に遮蔽土塁が多重に細かく築かれました。
(と言うか、遮蔽土塁を管理するように付城が築かれたのかもしれません。)

そんな遮蔽土塁も丹念に見てまわります。

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本来、道路を横切るようにして土塁があったそうですが、道路西側にその名残のような遺構が見られます。二位谷土塁Bと呼ばれるものです。

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その南西方面に進むと福井城山土塁です。

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道路と駐車場の境に区切りがあります。もともと遮蔽土塁は低いものですから、これが遮蔽土塁の名残でも全然不思議ではありません。仲間たちと、遮蔽土塁発見!と言いあっていました。マニアックさ極まるって感じでしょうか。

(どのくらい正しいかは眉唾モノかもしれませんが・・・。)

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更に南、工場の南側には福井土塁Mです。

地図を広げると、このブログで紹介したものだけでも南側の防御ラインが浮かび上がってくるようです。

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こちらの遺構は良好に残っています。

資料によって遺構を推定し、遺構によって資料の確かさを確認する、そんな付城めぐりでしょうか。先人の資料は有難いものです。

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1356小林八幡神社付城(兵庫県) [城印象記]

兵庫県三木市別所町小林の小林八幡神社付城を紹介します。

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舌状丘陵先端に位置し、北の三木城とは低地を挟んだ地形になります。

三木合戦時2期に築かれた付城です。

現在は江戸時代中期に祀られた八幡神社があります。

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神社東側には土塁が良く残り、曲輪が想像されます。

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土塁が二重になりしっかりした守りが見てとれます。

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西の方は道路開発等で遺構が失われているようですが、堀があったのかなあというような地形でした。

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周囲には遮蔽土塁である福井土塁が多重に点々とあり、拠点にはこうした付城を配備した様子がわかります。

もう少し遺構が整備されていればいいのに、と思う点もありますが、いたしかたないでしょうか。

神社本殿に向かう参道も途中が下がっています。もうすっかり城遺構ではないのですが、おそらくここに堀があったのではと思わせる地形でした。

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1355福井遮蔽土塁(兵庫県) [城印象記]

兵庫県三木市別所町小林の福井遮蔽土塁を紹介します。

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小林八幡神社に小林八幡神社付城があるのですが、その周囲にも点々と遮蔽土塁があります。三木合戦時2期に築かれた毛利援軍の補給路を断つ土塁です。

地図では福井土塁Hの位置をポイントしました。

これではわかりにくいので、マッピングした地図の画像をあげると、遮蔽土塁と付城はこんな感じです。

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丹念にひとつひとつを訪ね、チェックしていくことで、当時の三木城周辺が彷彿として描かれていくような気がします。

こちらは、福井土塁Hになります。神社鳥居の横です。

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マッピング地図を確認しながら、こちらも遮蔽土塁と確認。福井土塁Iです。

途中に折れのある土塁です。

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土塁の高さは低いです。けれど、今まで見てきた付城や遮蔽土塁のことを考えれば、これで正解でしょう。でも、初めて見たら、土塁とはなかなか思えないのではないか、というより、史蹟保存されているのか、というような状態でもありました。

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お墓のある奥の仕切りが福井土塁Jです。

ちゃんと探せばわかる今のままがいいです。開発に飲み込まれて欲しくないですね。

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1354高木大塚城(兵庫県) [城印象記]

兵庫県三木市別所朝日ヶ丘の高木大塚城を紹介します。

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三木合戦時の付城で2期に築かれたものになります。補給路を断つ遮蔽土塁を伴っています。

先日紹介した高木大山付城の北西500mの位置です。

コミュニティバスの停留所があり、すぐその横に遺構が見えます。

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数ある付城遺構の中でも、手軽に、割とはっきりわかると思います。

土塁ラインもくっきりです。

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虎口もよくわかります。

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中央は櫓台のような土塊になっていますが、これは古墳を利用したものだそうです。

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それを土塁が取り囲んでいます。折れの多い縄張は技巧的です。

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三木城付城群は、低い土塁ばかりなので見栄えのしないものが多いですが、ここは写真映えしますかね。

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また近くには、遮蔽土塁も残っています。

この付城の東南東方向に、手前を通っている道路を挟むようにして土塁が確認できます。

まず北側の遮蔽土塁。この画像だと道路の土手で、土塁の感じはしないのですが、端まで歩いて、裏をのぞいたりすると、やっぱり土塁かぁとわかります。

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その向かいの南側です。遮蔽土塁です。

もっともその気になれたのは、よい資料と同行者のお陰です。ありがとうございました。

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1353高木大山付城(兵庫県) [城印象記]

兵庫県三木市福井の高木大山付城を紹介します。

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先日紹介したシクノ谷峯構付城の北北西500mに位置します。

三木合戦時の付城で2期に築かれたものになります。

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道路脇といったところに土塊が見えます。「歴史の森・物見台」と案内がありましたが、どういう構造を意図しているのかよくわかりませんでしたが、いわくありげな凸凹です。

また道路を隔てて、土塁の一部かと思われる土塊もありました。

紛れもなく付城の遺構です。

ここも残念ながら守っていた人はわからないそうです。

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1352ポケモンGOに第3世代続々登場 [ポケモンGO]

このところポケモンGOでは、キズぐすり等のくすり系アイテムが出てこなくなった。いつからだろ。全く出ないわけではないので、正確には出る割合が減ったということだろうが、気がつけば手持ちのくすり系アイテムが少なくなった。

それは、やはり自分だけではないようで、それに応じジムバトルの回数も減った。がっかりするようなジム攻防も多かったので、平和になったのは、ちょっとうれしい。

いつの間にかボールが余ってしまうくらい多くなってしまった。ジム占拠だけでなく、もっとポケモンを捕まえに行かねば。それが本来のゲームのはず。

そんなポケモン界に、第3世代というホウエン地方の新しいポケモンが続々と登場している。

新しいホケモンが増えるとポケモンバックがいっぱいになって大変なんだよな、とおよそゲームを楽しむ感覚とは思えないことを思ったりするのではあるが、まあ、ここはこの劇的な変化を楽しんで、一生懸命歩き回ることにしよう。

そんなポケモンGOで最近Getしたポケモンたち。

こうして並べてみると楽しいね。チャクチャクとGet進めていこう!

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1351シクノ谷峯構付城(兵庫県) [城印象記]

兵庫県三木市福井のシクノ谷峯構付城を紹介します。

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昨日紹介した明石道峯構付城の西500mに位置します。連続して付城めぐりをすると、連携して防御している様子が実感されていきます。

史跡マップがありました。ここで三木合戦など確認しておきましょう。

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  三木合戦

 戦国時代の終わりごろ、織田信長から播磨平定の命を受けた羽柴(豊臣)秀吉が、東播磨を治めた三木城主別所長治を攻めた戦で、天正6年6月から天正8年1月(1578-80)までの約1年8か月に及ぶ兵糧攻めが行われました。別名「三木の干殺し」とも呼ばれる悲惨な戦いで、城主長治は、飢えに苦しむ城内の人々の命を救うため、自害し開城しました。

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  三木城攻め付城群

 三木城を兵糧攻めにするため、秀吉は平井山に本陣を築くとともに、三木城を包囲する30余りの付(陣)城を築き、三木城への兵糧搬入や援軍を完全に遮断しました。
 江戸時代に編集された地誌「播磨鑑」や絵図「三木城地図」などに、これらの付城群の記載が見られます。
 400年以上を経過した今も約半数の付城が残っています。

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  ○シクノ谷峯構付城

 この付城は、三木城を兵糧攻めにするため築かれた30余りの付城の一つで、絵図「三木城地図」に描かれていましたが、ホースランドパーク建設事業に伴って所在が確認されたものです。「宿の谷」と呼ばれる谷に張り出す尾根の先端部に築かれていることから、谷の名前に由来し「シクノ谷峯構」と呼んでいます。
 曲輪は、主郭と腰郭から構成され、主郭は四方を土塁で囲んだ東西約45m、南北約25~40mの規模で、南端の土塁中央部には約5×6mの方形の櫓台を築き、北西隅と北東隅の2か所に虎口(出入り口)を設けています。北東隅の虎口から続く腰曲輪は、主郭のような土塁囲みはなく、削平などの整地により平坦部を造り出しています。
 主郭、腰郭を合せた付城の範囲は約3,000m2で、西に隣接する平坦部を含めると約4,600m2となっています。
 なお、この付城を守った武将については、残念ながら分かっていません。

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とはいうものの、シクノ谷峯構付城についての案内は特にありません。あたりをつけて山の中に踏み込みます。比高は25m、丘の先になります。

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土塁が見えてきました。史跡マップにあったように、まさに「自然の中で歴史とふれあう」という状況です。

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暗くなりかけた林の中を、土塁、櫓台、虎口など確認しました。遺構は残っていますが、見慣れてないと判じ難いでしょうか。縄張図を持ちながら、日没までの時間を惜しむように歩き回りました。

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