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1306明白院の扁額(東京都青梅市) [扁額]

東京都青梅市日向和田にある明白院です。

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ここは、楯の城の移築門を見に訪れました。こちらが以前書いた記事です。

0694楯の城移築門-明白院山門
http://mikawanokami.blog.so-net.ne.jp/2016-03-05

記事が被ってしまってすいません。

山門の案内にお寺の紹介があるので引用します。

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 本寺は日向山と号し、本尊は勝軍地蔵である。天正年間(1573-1592)天江東岳を開山として、勝沼城主三田氏の遺臣野口刑部丞秀房を開基として創立された。
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禅宗曹洞派のお寺です。

扁額の文字は「願王殿」と書かれていると思いますが、由来など意味はよくわかりません。左の署名に「永平~」とあるのは永平寺との何か関係なのでしょうか。残念ながら、それもよくわかりません。

頭の中で筆運びをイメージして、文字を楽しむのみですが、そのひと時が私は好きです。

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1305光明寺の扁額(東京都青梅市) [扁額]

東京都青梅市東青梅にある光明寺です。

こちらは勝沼城のふもとにあります。勝沼城を訪れた際に立ち寄りましたが、その勝沼城の記事はこちらです。

0691勝沼城(東京都)
http://mikawanokami.blog.so-net.ne.jp/2016-03-02

光明寺は曹洞宗の寺院であり、嘉元年間(1303-05)に創建されたと伝わっています。開山は天文3年(1534)だそうです。

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「永平悟由」とありますが、これは永平寺64世貫首森田悟由さんのことでしょうか。天保5年(1834)-大正4年(1915)の方ですから、新しいようで、そこそこ古い扁額です。

のびやかな字です。

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1303滝山公園霞神社の扁額(東京都八王子市) [扁額]

東京都八王子市高月町にある霞神社です。

滝山城本丸にあります。先に紹介した金毘羅社のすぐ隣になります。場所的にいえば、こちらはより滝山城の本丸というところでしょうか。

本丸の南東隅にある滝山城碑です。

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滝山城はよく整備されています。中世山城でして、建造物等はないですが、時間をかけてゆっくり見学されると面白い城です。

例えば本丸もこんな様子です。手前に井戸があります。

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その本丸の奥の一段高いところに霞神社はあります。

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戦没者の英霊を祀った神社だそうです。

昭和33年(1958)に創建されたそうですが、老朽化したため、平成7年(1994)に再建されました。

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扁額も白木のきちっと楷書された新しいものでした。

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1302滝山公園金毘羅社の扁額(東京都八王子市) [扁額]

東京都八王子市高月町にある金毘羅社です。

滝山城本丸の搦め手方面にあります。小さな社です。公園として整備されていますが、こんな猛烈な石段を見ると、やはり山城ですね。

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その上の高台からは多摩川方面が見下ろせます。

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小さいながらも鳥居に社にときれいにされてました。

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金毘羅は海の神様ですが、天明年間(1781-89)に多摩川の水運に携わる滝村の人々によって創建されたそうです。

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扁額もきれいなものが掲げられていました。

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1297円通寺の扁額(東京都八王子市) [扁額]

東京都八王子市高月町にある円通寺です。

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高月城に行くときに寄りました。天台宗のお寺です。

こちらは山門に掲げられた扁額です。「慧日山」と山号が書かれています。

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本堂です。延喜3年(903)、醍醐天皇の御代に比叡山延暦寺西塔の法祖讃海阿闍梨が創建したと伝わるお寺ですが、堂宇は戦災で焼失し、昭和58年(1983)に再建されたものです。

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天台宗のお寺らしく最澄の像があります。

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本堂には「圓通寺」と扁額があがっていました。

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1294薬師寺の扁額(三重県名張市) [扁額]

三重県名張市吉原にある薬師寺です。

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こちらは以前に城印象記の記事を書いた吉原城に行った時に寄りました。

  0713吉原氏城(三重県)
  http://mikawanokami.blog.so-net.ne.jp/2016-03-24

門柱にあるように真言宗醍醐派のお寺なのでしょう。醍醐派は修験道に関係するようですが、よくわかりません。

本山は醍醐寺で、座主でもある戒玉大僧正が揮毫された扁額のようです。

「桜雲山」と書かれたのでしょうか。

きれいにされていましたが、もう少し由緒がわかればよかったのですが。

でも、山里で、ちょっといいものに出会った気分です。

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1293亘理神社の扁額(宮城県亘理郡亘理町) [扁額]

宮城県亘理郡亘理町にある亘理神社です。

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ここは、亘理城のあった故地でもあります。

南の堀なども残り雰囲気をとどめています。

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本丸の碑です。

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亘理初代の伊達成実について説明された案内がありました。

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  亘理神社の碑(伊達成実伝)

 亘理伊達家初代成実(しげざね)は、伊達実元(さねもと)(政宗の祖父晴宗の弟)の長男として、永禄11年(1568年)信夫郡(現福島市郊外)大森城に生まれた。母は伊達晴宗の娘である。
 17歳の時父の跡を継いで、一年年上の伊達家当主政宗公に仕えた。
 若くして武勇の誉れ高く、天正13年(1585年)の人取橋の合戦には、劣勢だった政宗軍の形勢を逆転させた。以後、摺上原の戦い等、戦いのたび功績をあげて、「炎の闘将」の名を天下にとどろかせた。
 豊臣秀吉時代、政宗が“逆心”の疑念をうけた時には、人質となって伊達家のために尽くしたものの、一時政宗と不仲になり高野山にこもった。
 しかし、関ヶ原の戦いがおこると急ぎ帰り、上杉方白石城を攻め、その功績により晴れて慶長7年(1602年)亘理城主となった。その後、城下町亘理を建設する一方、新田開発を盛んに行って領内を治めた。同時に仙台藩主政宗公の片腕として、数々の重責を果たした。
 また、成実は、深い教養を備えた人物でもあった。彼の著わした『成実記』は、政宗公が仙台藩を築いた時期の歴史的記録としても貴重である。
 政宗公の9男宗実を跡継ぎとして迎え、終生、仙台藩への忠誠を貫き、その安泰に尽くして、正保3年(1646年)79歳で生涯をとじた。
 明治12年、成実は亘理神社に祀られ(神号 武早知雄命(たけはやちおのみこと))、同30年、成実の生涯を刻んだ碑がここに建立された。

  昭和62年9月再建  亘理町教育委員会

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そうなのです、伊達成実祀った神社が亘理神社なのです。

狛犬が控えています。

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扁額には「武早知雄命」とあるのは、伊達成実公を表しているわけです。

ちなみに鈴木賢精氏は1900年(明治33年)-1901年(明治34年)に亘理町町長を務めておられた方です。

流れるような線がいいです。

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1292大雄寺の扁額(宮城県亘理郡亘理町) [扁額]

宮城県亘理郡亘理町にある大雄(だいおう)寺山門です。

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標柱があり、簡単な説明がありました。

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亘理町指定文化財 大雄寺山門

 文政年間(1818-1830)に建てられたと考えられる。二階建てで下層に屋根がない楼門と呼ばれる形式の門で、江戸時代後期に地方で建築された楼門として貴重である。平成20-22年(2008-2010)に大修復を行い、往時の姿を再現した。

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立派な門に、立派な扁額が上がっています。

山号が認められています。墨書で見たら、もっと味わいのありそうな字ですね。

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ここはまた、かつては小堤城という城であり、また敷地の片隅に伊達成実をはじめとした亘理伊達家霊屋と歴代墓所もありました。

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1291青岩寺の扁額(青森県上北郡七戸町) [扁額]

青森県上北郡七戸町にある青岩寺山門です。

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こちらは以前に移築城門の記事を書いています。

  0769七戸城移築本丸城門-青岩寺山門
  http://mikawanokami.blog.so-net.ne.jp/2016-05-19

記事が被ってしまって、すいません。

この移築城門に山号が掛かれた扁額が飾られています。

浄土宗白旗派岩手郡大泉寺の末寺という青岩寺ですが、こちらの扁額は、知恩院大教正大僧正の真筆で、明治7年12月に頂戴したものだそうです。

「龍泉山」

流れのある字が青色と相まって爽やかです。

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1286海住山寺の扁額(京都府木津川市) [扁額]

京都府木津川市加茂町にある海住山寺です。

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狭い集落を抜けたと思ったら、強烈な坂道で面喰いました。これ本当に大丈夫なの!? という道ですが、気をつけて参拝してください。上は広い駐車場があり、やはりこの坂道は、車で訪れたいというところでしょう。

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  海住山寺(かいじゅうせんじ)

天平7年(735)聖武天皇の勅願により、東大寺の良弁(ろうべん)僧正が開基した観音寺が創建と伝えられています。鎌倉時代初めの承元2年(1208)に、解脱上人貞慶(げだつしょうにんじょうけい)が観音浄土である「補陀落山(ふだらくさん)」にちなみ寺号を「海住山寺」と定めて再興しました。鎌倉時代に建立された五重塔(国宝)や文殊堂(重文)をはじめ、本尊十一面観音立像、法華経曼荼羅図(ほけきょうまんだらず)海住山寺文書(もんじょ)など、多数の文化財を守り伝えています。

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こちらが重文の文殊堂です。本堂の向かって右にあります。

連子窓がいいですね。

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国宝の五重塔は左手奥にあります。こちらは割愛して、また後日にします。

本堂前の両脇にいる狛犬です。

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静かな古寺です。清楚な心落ち着く空間ですね。

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本堂内拝観300円+境内散策100円ということです。

ご本尊の十一面観音立像も拝見させていただきましたが、撮影禁止ということで画像はありません。

境内を通じて、扁額が妙に新しいです。

それでも、額縁の縁取りとマッチした文字は格調高く感じられました。

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