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1142伊万里城(佐賀県) [城印象記]

佐賀伊万里市松島町の伊万里城を紹介します。

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伊万里川横の城山公園が伊万里城です。かつての面影はないというものの、市街地近くに盛り上がった丘は、城そのものと感じられます。

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伊万里氏の守護寺という円通寺があります。車止めがありますが、こちらから遊歩道であがれます。石垣がいい雰囲気でしたが、まあ城の遺構というわけではないでしょう。

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坂の途中に案内板がありました。

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  伊万里城跡

 伊万里城は、中世(鎌倉・室町・戦国・安土桃山時代)に、伊万里浦を納めた松浦党の伊万里氏の居城とされています。松浦党は中世に西北九州を根拠地にして活躍した水軍です。およそ800年前の鎌倉時代の初期に、松浦党の一族で伊万里氏の祖、峯上が築城したと伝えられています。
 現在は、高さ約42m、南北約270m、東西約130mの丘ですが、当時は伊万里湾に突き出した岬状の地形で、湾内を展望し、伊万里川や白野川、脇田川の河口部を支配する絶好の場所だったと思われます。
 正中2年(1325)ごろの伊万里は、伊万里浦、福島、波多津浦、田平町蒲田浦と青崎、佐世保市矢岳、神埼庄の一部(元寇恩賞地)を領地とし、五島の海夫集団を掌握しており、松浦党の有力家でした。
 しかし天正4年(1576)、伊万里兵部大輔治のとき、佐賀の戦国大名、竜造寺隆信に攻められて、伊万里は落城しました。北東側の陣内の丘に「鶴亀城由縁之霊」と刻まれた石碑があり、戦死者の供養碑と考えられています。
 明治時代以後、伊万里城跡は「城山」と呼ばれて公園ににりましたが、第二次世界大戦中は敵の飛行機をみはる対空監視哨が置かれたこともあります。現在は、伊万里富士(腰岳)や市街地を見晴す景勝の地桜の名所として市民にしたしまれています。
                          伊万里市

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木々が生い茂り展望は効きません。木々の合間から伊万里川です。

あのあたりは伊万里津として、港としてにぎわったのでしょう。その要地を押さえる城でした。

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公園として利用されていることもあって、上は削平地が広がっていました。

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遺構は見られませんが、お城らしい地形ですかね。

片隅に供養塔らしきものがありました。

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面白いなと思ったのは、ここに以前は展望台があったようです。ポケモンGOのポケストラップで知りました。ポケモンGOで知ることも面白かったし、展望台など取り止めて、何もない状態にしてあるのも、今の時代らしい整備なのかな、と思いました。

もう暑くなってきましたね。何もない城をぶらぶら歩くのもモノ好きですか。

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1113御前原城(栃木県) [城印象記]

栃木県矢板市早川町御前原の御前原城を紹介します。

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シャープの工場が並ぶ中心に公園があります。それが、こちら御前原城です。

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ちょうど桜が満開でした。

方形の土塁と空堀がよく残ります。

晴れ渡った空と朝の光、最高の気分を味わいました。

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内側の土塁と空堀、それから外も土塁があるようで、二重の土塁のようです。

堀底から土塁までは5m弱の高さがあります。

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東側に見えます。よくぞこの御前原城を残してくれたと思います。日曜の朝なので工場に囲まれた御前原城は静かです。平日などは、周囲の癒しの空間になっていることでしょう。

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東側には何もなかったのですが、南側には虎口があったようです。

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そして、その外側には曲輪のような空間があります。枡形のような防衛的なものがあったのでしょうか。遺構から正確には読み取り辛いですが、それらしいものを感じます。

御前原城の大手口は南側だったと思われます。

反対の北側の虎口です。内側から見たところです。

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最初の画像の内側からになります。

今ではすっかり正面の入り口になっていますが、後世、土橋状に埋め立てて作られたようです。公園とした残された時にこのように整備されたのでしょう。車1台が通れる幅があり、入ったところが駐車場になっています。

往時は搦め手になり、虎口があり、何らかの形になっていたと思われますが、よくわかりません。

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入った正面、中心地(やや北より)に祠があります。麻疹地蔵堂です。

このあたりに居館がありました。往時は庭園もあったようです。

区切りの土塁です。

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郭内は広く(東西177m南北188m)、このように機能に応じて区切って利用していたのでしょう。

それにしても桜がいいですね。

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南東隅です。四周を囲む土塁の隅は、特別広くなっておらず、隅櫓のようなものは建てられてないようでした。

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東側には虎口と土橋が残っています。これこそ、本来の形でしょう。

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南、東、北に虎口があったわけで、四周を囲む二重の土塁と空堀、特に折れはなく、また櫓台となるような土壇もなく、素朴な形でのお城でしたが、かなりの広さがあり、往時、さらに周囲にも城郭遺構があったと思うと、なかなかなものと感じいってきました。

そして何よりも桜がよかった。青空と朝日と桜が最高でした!

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1110曽我城(神奈川県) [城印象記]

神奈川県小田原市曽我谷津の曽我城を紹介します。

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曽我氏の居館跡ということで、まあ有名そうなので行けばわかるだろうとタカをくくって訪れました。が凡そこのあたりだろうと思いながらも、案内は見つからず、彷徨ってしまいました。

路地は細く、車が停められません。簡単に済まそうとしたのまずかったのでしょう。やっぱり車を停めて歩いた方がよかろうと、下曽我駐在所奥の駐車場に入れます。入れて気付いたのですが、ここが城前寺の駐車場でした。

城前寺を訪れます。

説明板には「曽我城の大手前にあるのでこの名がある」とあります。

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そして本堂の奥には曽我氏の墓があります。

曽我太郎祐信、満江御前、曽我十郎・五郎兄弟の墓と伝わる五輪塔です。実はこの下の墳丘が曽我城の土塁の一部だということです。

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そして、館碑はここより東100mの地点です。見つからず、あたりをぐるぐる歩いてしまいましたが、地元の方に聞いてやっとたどり着きました。

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何とか暗くなる前にたどり着きました。カメラに収めてほっと一息です。

でも、おかげてあたりの地形がよくわかりました。穏やかな丘陵地で、城の遺構と思われるものは何もありませんが、居館を構えるのにいい場所でしょう。

しかし、やっぱりきちんと調べないといかんなと反省した次第です。

ふと、気が緩んで、ちょっとポケモンGOでもとアプリを立ち上げたら、曽我城がポケストップになってました。あー、こんな探し方も出来たんだ! 気が付かなかった、と一本取られた気分でした。

やっぱり、曽我城は有名スポットなんですよね。

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1102下堀城(神奈川県) [城印象記]

神奈川県小田原市下堀の下堀城を紹介します。

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地図でも四角く水路があるのがわかります。それが面白そうで訪ねました。

あたりは住宅街になっています。水路に沿った道路があるわけではないので、撮れそうなところで、四辺の雰囲気がわかるように撮ってきました。

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中世の方形館が想像されます。旧武田氏の家臣志村氏が居館としたそうです。

南西隅に土塁が残っています。削れてしまったのか、余り高くない土塁です。この土塁もそうですが、四辺の水路といい、直線ばかりで、技巧的なところはありませんでした。

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ちょっと木が植わっていて、土塁と気付きにくいです。

住宅地のなかで、らしさが少しづつ失われているのでしょう。そう思うと、残念です。

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1101沼田城(神奈川県) [城印象記]

神奈川県南足柄市沼田の沼田城を紹介します。

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丘陵状になっています。路地は細いですが、登っていくことは可能です。ただ駐車する場所がなくて苦労します。

登り口には、小さな案内があります。

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この道も堀のような遺構を利用しているのかもしれません。

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登り切った正面に標柱があります。

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このあたりが主郭です。開墾された畑が広がっています。

実は、ここは再訪なのですが、以前はちゃんと標柱は立っていました。

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標柱ひとつでも、ありがたいものです。しかし、手入れされることなく朽ちていく様子をみると残念です。また新調されることを願っています。できれば、説明版もあるとうれしいですね。

それにしても、前回も雨で、今回も雨。雨だから、ちょっと立ち寄ったのかと微妙な思いです。

割と広い平らな土地で、往時は区画を設けて城と利用したのでしょう。それを何となく感じさせる様子ですが、開墾されてて、具体的な遺構までわかりません。

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しかし、登ってきた南面の道を少し入り込んでみると、この台地が切岸状になっているのが、よくわかります。

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こんな薮探索をこまめにするとお城も楽しさを増すのですが、雨の再訪ということで、そこそこにして切り上げてしまいました。

北の面を下ると空堀も確認できます。よかったらチャレンジしてみて下さい。

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1099北条幻庵屋敷(神奈川県) [城印象記]

神奈川県小田原市久野の北条幻庵屋敷を紹介します。

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保育園の手前角になります。路地は狭いです。訪ねた日は土曜日で休園日だったので、保育園の駐車場に停めさせていただきました。

あいにくの雨でしたが、満開のソメイヨシノが咲いていました。桜はいいですねえ。

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 北条幻庵屋敷跡

 幻庵は、伊勢早雲庵宗瑞(北条早雲)の末子として明応2年(1493)駿河の葛山の館(裾野市)に生まれた。幼年時代に箱根権現の別当職を約束され、京都に出て三井寺で修学したり、学者や文化人について諸芸を学び、格調高い歌を詠む文化人であった。
 天文10年に兄氏綱が逝去した後は、3代氏康、4代氏政の後見人として、この久野の館に住み、一族の長老的存在となり、その名は遠国まできこえていた。
 幻庵は、北条氏が滅びる8ヶ月前、北条氏の盛衰とともに久野の館で97歳で亡くなったとされている。

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余り後北条氏に詳しくないのでいけませんが、関東には後北条氏ファンも多く、思い入れの方も多いのではないでしょうか。

わずかばかりの庭園が残っています。

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こうして残っているのはありがたいですが、少し荒れていますかね。もう少し整備すればいいのに、と思いました。

もっとも、屋敷であって、城館的な遺構はなかったと言われています。

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鳥居の向こうには廟もありました。秀吉に攻め込まれる前に亡くなったのは、幸せなことだったのかなと思って、手を合わせてきました。

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1091奥池ヶ谷城(静岡県) [城印象記]

静岡市葵区柿島字城山の奥池ヶ谷城を紹介します。

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安倍川水系の中河内川の蛇行する山地に奥池ヶ谷城はあります。天然の要害と言うべく場所に位置します。県道27号線沿いに、車が2台ほど停められるスペースがあります。奥に登城口です。

案内板があります。その右手下は断崖で中河内川が臨めます。

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猛烈な急登坂です。ただ道が整備されているので助かりました。階段が作られています。

周囲は川に囲まれた崖のようですが、山地の中心を通るので水面は見通せませんでした。

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急登坂ではありますが、それほどの距離はありません。比高85m、約10分程の登りです。

ちょっと登り切ったかなと思ったところで小さな削平地があり、奥に堀切が見えました。

ここが一番の見所になりますでしょうか。奥が切岸になっているようで見栄えがあります。うっすらと土橋が見えます。しかし、堀は浅いです。

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ここですっかり城モードになってしまいましたが、全体には削平が甘く、はっきりと曲輪の連携機能が感じられない様子ではありました。

が、削平地=曲輪がパズルのように入り組んでいるようにも感じられ、観察してきました。

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こちらが最高所になります。主郭の一角の櫓台の土壇というところでしょうか。

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反対から振り返ると、こんな具合に見え、土壇の切岸的な部分が、自然地形の中にも人口的なもの、お城を感じられる部分になります。

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更に奥に進みます。鉄塔があり、その先に段状に削平地が広がります。、

割と広いスペースです。

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縁には、石積みらしきものも見られます。

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しかし、どうでしょう、石が散乱し土留めようなものがあった様子がうかがわれますが、唐突にお城の遺構としての石とは考えにくいですねえ。

どうやらかつて開墾されたということです。

隠畠でもあったのでしょうか。

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妄想が広がります。が、元は城の遺構だったと思います。側面に竪堀などもあります。曲輪は、立てこもる兵や集落の人々の格好のスペースだったのでしょう。

そして奥は断崖です。川は見えませんが、この周囲は川です。

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ある程度の規模があるものの、素朴な自然地形を利用したお城です。

強力な城郭に進化する要素がありますが、今川も武田もこの地を重要視する機会がなかったのでしょう。峠がこの先にありますが、鄙びた山間地でした。

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1090湯島城(静岡県) [城印象記]

静岡市葵区油島字城山の湯島城を紹介します。

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菜流寺への道があります。勾配がきついですが、舗装された道が菜流寺奥のお墓場まであります。そこに数台分の駐車が出来ます。そちらを利用させていただきました。

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登城口は何も示されていませんが、実はこの浄水設備の横になります。山に向かう小道がうすく見えると思います。

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しばらく沢の左を歩き、沢の流れがなくなるあたりで横断し、山へと入っていきます。

そのあたりから逆の左の尾根に登る道もあります。そこには削平地があるようですが、こちらは割愛してしまいました。

小道はうっすらとしていて見失いやすいレベルです。斜度もきついですから気をつけて登って下さい。

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約20分ほどの登りです。比高で120mほどでしょうか。

そろそろ頂上かと思った時、いきなり現れました。堀切と土橋です。尾根筋を削り込んだ感じがあり、お城の遺構とすぐ分かりました。

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いいですねえ。ただ強烈に遺構を感じたのは、実は、ここともう1ヶ所あるだけなのですが。

廃屋になった小屋が見えます。どうやらここらあたりが主郭のようです。

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裏に回ってみます。削平地が広がっています。今は植林されていますが、かつては茶畑にされてたそうです。藪化している部分も多く、また削平なども、素直に遺構と受け取れない部分もありますが、ともかく、かつては城の曲輪として広い平らな土地だったのでしょう。

廃れた井戸があります。天水をためるようなものでしょう。これがそのままお城の遺構かどうかはわかりません。でも、曲輪といい遺構を利用した可能性は高そうに思えました。

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こちらの甕には水がしっかり溜まっていました。天水でも、しっかり溜めて利用することはできたということですね。

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削平地は広く、そして東に続いています。あれほど急斜面だったことを思えば、別世界のようです。途中の部分は緩やかに下っていましたが、その先は方形状に削平地になっています。

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西が主郭であり、東が2の曲輪という位置付のようですがはっはりしません。ただ両端が広くなっていて中央がやや狭まっていること、西がやや高いこと、などからそう見えるということです。

改変もあってか、城の遺構らしさはあまり感じられません。

しかし、削平地の縁から見ると、かなり切岸状になっていることがわかります。この地形はお城だなと感じます。

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東北方面に下る道があります。その先に鉄塔があります。

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この尾根道を行ったところに堀切があります。

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これぞ、山城の遺構というような堀切です。特別な規模ではありませんが、手応えがあって、嬉しいものです。

反対側から、もう一枚。

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あとは、これというものはありません。

主郭の南側も探索しましたが、畑の土留めに作られたと思われる石垣がありました。位置的にも、城遺構には思われませんでした。

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もう少し下ったところには、茶畑の名残がありました。

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両端に残る遺構と広い削平地を考えれば、そこそこの城だったのだろうなと想像されます。しかし、それらが、畑などで破壊されてしまったのでしょう。

今は山林と薮と壊れた廃屋を見ながら、人の営みをいろいろ感じます。

けっこう高い山ですが眺望はすぐれません。これは登城口の反対にあったお墓の上から見た安倍川の景色ですが、山林がなければもう少し角度あるいい景色が、往時は望めたのかもしれませんね。

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1089瀬名館(静岡県) [城印象記]

静岡市葵区瀬名字大屋敷の瀬名館を紹介します。

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今川一門である瀬名氏の館がありました。リンク西奈・西奈図書館の西側あたりと言われてます。

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付近を歩いてみましたが、今は遺構は何もありません。新しい住宅が建っています。最近のものらしいですね。

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よく観察してみると、隣の土地より高いことがわかります。土地が造成されて平らに均されたことでしょうが、ひよっとするともとは微高地だったかもしれません。また付近の溝(水路)などの自然な曲がり方などは、かつての堀の名残があるのかな。

ひょっとしたら発掘調査などもされているのかもしれませんが、全く資料を持ち合わせていませんので、単なる妄想です。でもそんなひと時が楽しい、散策です。

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公民館のところに、瀬名の郷倉がありました。昔から「瀬名は千石米どころ言われていた」そうですが、瀬名氏が重要な拠点を押さえていたことがうかがえます。

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東側には山がみえます。麓には瀬名氏の菩提寺である光鏡院があります。

その山には瀬名氏の砦があったそうですが、詳しくはわかっていません。

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光鏡院まで来ました。300mほどです。

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瀬名一秀の供養塔がありました。瀬名一秀は遠州の地から今川一門ということで、この地に馳せ参じた瀬名氏の初代です。

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ここより南200m行くと2代氏貞の墓がある松寿院があります。

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もっともお寺はお寺の体を留めていないような様子でしたが。

変わりゆくなかで、仕方がないものとこれだけは残したいと思うものとあるでしょうが、ここに今川氏を支えた瀬名氏一族がいたことは記憶にとどめたいですね。

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1080気賀陣屋(静岡県) [城印象記]

浜松市北区細江町気賀の気賀陣屋を紹介します。

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気賀小学校があります。この一帯に陣屋があったそうです。

国道362号線を見下ろす高台で、街道を抑えるいい場所です。

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案内板があります。陣屋というよりは椎の木の説明なのが私的にはちょっと残念ではあります。

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   細江町指定天然記念物
   気賀近藤陣屋遺木江戸椎

 気賀小学校とこの付近一帯を陣中といい、江戸時代、旗本近藤家の陣屋(屋敷)があった所です。近藤家は、気賀の領主で、気賀関所も近藤家が治めていました。
 この椎の木は、陣屋の庭に植えられていたものといわれ、現在陣屋の面影を残すものはこの椎の木だけです。この椎の実はとても大きく、近藤氏が毎年この実を幕府に献上したことから、江戸椎と呼ばれるようになりました。

   細江町指定 昭和41年1月27日

                      平成6年10月1日
                      細江町教育委員会

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子供の頃、シイの実を口にしたことがありますが、そんなに美味しいものではありませんでした。ここのシイの実は、そんなに違うのか気になってしまいましたが、どうなんでしょう。

陣屋遺構は何もありません。

小学校は明治6年創立の古い学校ですが、新しい校舎が建っていました。

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