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1347法界寺山ノ上付城(兵庫県) [城印象記]

兵庫県三木市別所の法界寺山ノ上付城を紹介します。

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跡部村山ノ下付城から美嚢川を渡り、三木城反対に回ります。三木城から西南西2km少しの位置です。こちらも三木合戦の陣城になります。

いわゆる2期の陣城で、いよいよ合戦も長期化し、本格的な兵糧攻めということで、三木城を囲いかけていく時期のものになります。

宮部継潤が守っていたそうです。

法界寺山ノ上付城へは朝日ヶ丘団地の片隅から山に入りました。

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山の中、特に道はなく、特に激しい登りもなく、足を進めます。すると、やや高台に周りを横堀に囲まれた、法界寺山ノ上付城に到着しました。

埋もれた山林の中、ちゃんとあるものなのですねえ。

虎口付近には説明も付いていました。

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虎口の前に土橋があり、馬出状の出曲輪になっています。

そしてその横の横堀。

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主郭の土塁です。

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そして主郭です。いい感じの広さと削平ぐあい、ですかね。周囲は土塁で囲われています。

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   主郭

 4方を土塁と横堀で囲まれ、南側に馬出状の虎口を設けた、当城の中で最も主要な曲輪です。

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主郭周囲の横堀も残っています。ちゃんと城になってますね。

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そして西隣には副郭もありました。こちらの方が一段低いですが、やや広いです。

全体の凸凹はわずかですが、その日見た1期の陣城よりは、しっかりした構えになっていました。

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1346跡部村山ノ下付城(兵庫県) [城印象記]

兵庫県三木市跡部の跡部村山ノ下付城を紹介します。

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南に伸びた尾根の先端にあります。なるほど、という地形です。

電線の鉄塔が近くにあり目印になります。

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比高は10mほどです。登った台地に四角く土塁が囲った遺構がありました。

土塁は低く、わかりにくいものかもしれません。しかし、うっすらとですが四角く囲む様は、紛れもない遺構ですね。

こちらも三木合戦時の陣城で、1期のものになります。織田信澄が守っていました。

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わかりやすいところとして角の部分を撮ったものですが、画像だと現地の感激が伝わってこないですかね。

付城の中心部で、指揮所ではないか、とのことです。

その北側には水路のようなくぼみがありました。堀とはいい難い感じなのですが、どういう遺構なのでしょうか。

ただその水路越しに見ると、ちょっとした二重堀切のようで、いい感じでした。

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1345久留美村大家内谷上付城(兵庫県) [城印象記]

兵庫県三木市跡部の久留美村大家内谷上付城(くるみむらおがちたにのうえつけじろ)を紹介します。

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慈眼寺山城から南西1.5kmほどの位置にあります。三木合戦の陣城のひとつで、ずいぶん三木城に近づきますが、いわゆる1期の付城です。

小川横の細い道の途中に登り口はあります。

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もっとも案内板も道のありません。いきなりの斜面です。ここを登らないといけません。

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比高はさほどありません。10mほどでしょうか。台地状の削平地が広がっています。慈眼寺山城から思えば、ちょっとまとまった平らな土地です。自然地形を利用したのでしょうが、その端などを観察すると、切岸状の部分もみられ、人工的に加工して陣を気付いたのがわかります。

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何の造作もない削平地です。城めぐりにしてもあまり感動的ではありませんが、前面の隅には櫓台かと思われる土塊も見られます。と言っても、わずかな高みですが。

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その下は、段郭のような地形が見られます。ここに段郭があってもいいなと思われるところです。が、耕作放棄地だということです。

ま、耕作地の前が段郭じゃないのか、と食い下がりたいような地形ではあります。

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全体には自然地形をわずかに加工して、早々に戦いに備えた陣城で、今は自然の中に埋もれているというところでしょうか。

ゆるやかにくだった先には美嚢川があり、向かいに三木城があります。

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1344慈眼寺山城(兵庫県) [城印象記]

兵庫県三木市久留美の慈眼寺山城を紹介します。

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展望台として公園整備されているのですが、付近は特に駐車場はありません。登り口付近は場所に余裕があるので、そちらに停めて登りました。

「この上・三木合戦のときの有馬法印則頼の陣跡」の案内があります。また、このような新しい案内もあります。

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標高148mの山頂ですが、すぐ登れます。「この上三木市街が眺望できます」と案内のあるよう眺望はいいですね。

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ここが三木合戦時の陣城のひとつ慈眼寺山城になります。

合戦はおよそ3期に区分されます。まず、三木城攻めに向かった秀吉軍が対陣し、三木城北部に陣城を展開しました。慈眼寺山城は、その初期の1期のものになります。

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主郭と思われるこの場所は意外と狭いものでした。

「三木城合戦砦跡」の碑があります。「水神八大龍王鎮護之丘」でもあり、祀られています。

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曲輪のような地形が、北・東・西にあります。順に見ようと主郭を下ったところです。その下った法面がけっこう切岸状になっていました。遺構はそれなりに期待できるのかな、と思った瞬間でした。

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が、それぞれの曲輪は、そう言えなくもないか、という程度のもので曖昧な地形でした。南の曲輪は自動車道で消滅したそうですが、もともとの残存具合も悪かったのかもしれません。

二郭と比定されている西の曲輪です。確かに削平地では、ありますが。

この位置、この眺望が、慈眼寺山城、この陣城の価値かなと思いました。

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1331宮崎城(埼玉県) [城印象記]

埼玉県秩父市大野原字宮崎の宮崎城を紹介します。

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近くまで住宅地がきています。駐車場所は少しやっかいですが、こんな時は案内者がいてくれると助かります。少し離れた適切な余白地に停車して、攻城です。

ここも崖端城です。小規模な城で、地形に守られた要害です。三方が断崖という中で、北が地続きで、そこに堀切・土橋・土塁で形成された虎口があります。

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これは見事な遺構です。少し角度を変えてもう一枚。

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現場で見た時は、けっこう感動ものでしたが、こうして見るとわかりづらいでしょうか。写真は難しいものです。

こちらは、内側からみた画像です。

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ただ、このお城はこれだけです。単郭の縄張で、周囲は断崖、土塁等は見当たりません。曲輪内は削平地ですが、ただ林が広がるばかりです。

周囲で一部崩落の後も感じられました。

黒沢民部の居城ということです。要害の地ですが、攻められたらどう展開していくのだろう、と思うと不安にもなる地形です。戦闘の城というより、たぶん館城として機能したのでしょう。

簡単に見学できる城です。わずかですが、良好な遺構には感動しました。

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1330永田城(埼玉県) [城印象記]

埼玉県秩父市寺尾字永田の永田城を紹介します。

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荒川のつくりだす渓谷は深く、このあたりには崖端城と呼ばれるお城がいくつかあります。そのうちのひとつです。

地図で見ると三角形の断崖がよくわかります。

童子堂があり、その駐車場に車を入れました。

この先に低い土塁があり、遠くには秩父の街が見えます。荒川がつくりだした断崖を感じることができます。

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ここへ入ってくる時に渡った橋のある谷も崖端城の地形を物語っています。

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『秩父風土記』に永田林四郎がこの地にいたことが記されており、それで永田城というようですが、詳細はわかっていません。

主郭は童子堂のある方で、ポイントもそちらの方にしましたが、遺構としては南の城域の境となる土塁がよく残っています。空堀もわかります。

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1ヶ所切れているところがあり、虎口のようです。

平虎口でしょうか。今も道があるようです。

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この日はオフで、秩父の城をいろいろ案内していただきました。滑り込みで、さっとこんなお城も案内いただき、充実度UPです。

甲武山をバックに決めの写真を撮り、終了しました。

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1328飯島陣屋(長野県) [城印象記]

長野県上伊那郡飯島町飯島の飯島陣屋を紹介します。

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山の夕暮れは早いです。山城に突入するわけにはいきません。そんなわけで、観光施設にもなっている飯島陣屋に寄りました。

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  飯島陣屋と伊那県庁

 飯島陣屋が江戸時代の代官役所として成立したのは延宝5(1677)年。以来、主に伊那谷の幕府領(天領)を支配し、時期によっては筑摩郡・更級郡・小県郡にも管轄地をもった。その石高は、はじめ3~4万石前後、18世紀末には5万石を超え、幕末には1万5千石ほどに減少した。
 飯島陣屋は倒幕によって廃止され、慶応4(1868)年8月(この年9月に明治と改元)、新政府はその陣屋跡を県庁として伊那県庁を発足させた。伊那県庁はは信濃と三河の旧幕府領を県域に取り込み、明治2(1869)年末の石高は32万石に達した。明治3(1870)年9月、県域は南北に二分され、北は中野県として切り離された。明治4(1871)年11月、政府は府県統合を実施して伊那県を廃止し、松本を県庁として筑摩県を創設した。このとき、この地は政庁としての使命を終えた。
 平成2年度から飯島町によって飯島陣屋復元整備事業が実施され、平成5年12月、主に役所として機能していた建物が幕末の姿で再現された。

  平成18年3月 長野県教育委員会/飯島町教育委員会

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門前には碑があります。

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陣屋建物が復元されています。

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陣屋の玄関は顔ですから、ここを撮らなくてはって感じです。

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見取り図もあり、まあおよそ、これで陣屋の見学はいいかなと思いました。

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そんな気持ちでしたが、入場料300円、案内もしますよと声を掛けていただきました。せっかくなのでとお願いしました。

ここでは1時間ほどで建物内を案内していただけます。そして、自由に撮影もできますとのこと。

自分ひとりだったのですが、丁寧に案内していただきました。

こちらは書役部屋です。

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5つ玉の大きな算盤です。

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裁きをする部屋もあります。田舎の陣屋らしく小さなものですが、それでも其々きちっとあります。

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壁には十手が掛けられています。小さな簡素なものですね。

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お白洲です。

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こちらが屋敷の奥、屋敷の中心部分の部屋で代官さんの部屋です。

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裃もありました。質素なものです。

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お役所でありまがら、また役人さんの生活の場でもある、陣屋の様子がよくわかる展示でした。説明を受けながら、体験できて学べる歴史博物館です。

カゴもあります。小さくてびっくりです。

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かまどやいろりもあります。

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火打石でも、火付けの体験もできます。

簡単に火の粉が飛びます。それをほくちに移し、付け木で火を大きくしていきます。ちょっと面白い体験でした。

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1327古宮城(山梨県) [城印象記]

山梨県北杜市須玉町下津金の古宮城(ふるみやじょう)を紹介します。

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旧津金学校明治校舎の裏が高台になっていて、諏訪神社が鎮座しています。このあたりが、古宮城になります。

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参道の石段を登ると左に碑がありました。

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諏訪神社のあるところが副曲輪で、背後の丘が主郭のようです。

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主郭は削平された丘のようです。

ここの全体の地形が城の地形として相応しい高台であるのはよくわかりましたが、特に遺構らしいものは感じられず、まあ碑だけのお城かな、と思ってしまいそうです。

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しかし、西側に長い堀切がありました。これは見事です。

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これだけのものが残っているのだから、本来はもう少し遺構があってもいいのでしょうが、あとは想像するしかありません。

最初、はっとした驚きがありましたが、こうして落ち着いてみると、そんなに深いものではないですね。

しかし、反対側は土塁のようで、これだけの長さは最低あるのだから、やっぱりしっかりした防御ラインです。

いいものを見させていただきました。

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1296鳶城(京都府) [城印象記]

京都府木津川市山城町神童子横峰の鳶城(とびがじょう)を紹介します。

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比高が270mほどあります。さて、どこから登ろうか、と地図を眺めた時、北側近くまである道に気付きました。木津川方面からだとずいぶん回り道になりますが、この道を利用することにしました。

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そして赤で囲ったT字交差点がこちらです。

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これは迷いました。ここから城まで2kmはありそうです。しかし道が不安です。

結局、この周囲の余白地に停め、歩きましたが正解だったと思います。

道はほぼ一車輛分で停める場所もUターンする場所もほとんどありません。気が付くと深みにはまって戻れられないということになりかねない道でした。路肩が怪しかったり、こんなふうに倒木があったり。

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それでも、歩くには助かりました。

さて、城に近づくにはどうしよう、と思っていたところに尾根に向かう道がついてる斜面がありました。

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およそ、こんな具合に城に向かいます。

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尾根ラインを進むと小さなピークが二つほどあります。そのピーク前に、堀切らしい遺構に遭遇します。いよいよ城域です。

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尾根ラインなので歩きやすいですが、道なんてものはなく、薮漕ぎで進みます。

二つある小さなピークの最初の(主郭から遠い方の)ピークです。

削平感はあるものの、城郭遺構と言っていいのかどうかは、微妙な感じです。

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もう一つピークも微妙な感じでした。

でも、堀切遺構は確かなものに感じましたし、その内側ですから、私は出曲輪として捉えてもいいんじゃないかなと思います。

そして主郭群下の堀切です。

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薮ってますかね。主郭への切岸はかなりのものに感じました。だから、薮っていたので、逆に登りつけたようでもあります。

いきなり手書き案内板が目に入りました。

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  鳶ヶ城跡(とびがじょうあと)

標高318.3mの地にあり、16世紀頃の山城です。
伊賀街道神童寺越えと和束を結ぶ戦略拠点として狛氏が築いたとされています。

  山城町 ふるさと案内人の会

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主郭群には電力鉄塔が建っていると聞いていましたが、何もありません。こちらは、その跡なのでしょうか。

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鉄塔としたら少し狭くはないか、と思いましたが、規模の大小もあるのでしょう。ただ、この付近は草木も払われ眺望が効きます。

南方、木津川方面の眺望です。これはいい眺めでした。

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主郭群は削平されており、多少の区画があるように感じられましたが、草に覆われ、大雑把な感じしかわかりませんでした。

もっとも主郭の中心地というべき場所は、この三角点のある場所付近でしょうか。

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そこを通り過ぎた北側の堀を覗き込んだところです。切岸が効いています。

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そこには、矢穴のついた石が転がっています。残念石だそうです。

この山城に残念石というのも、よくわからないなあと思って見ていましたが。

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その下には横堀があります。武者隠しとして利用されたのかもしれません。この付近の遺構はキレイでした。

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全体的に薮っているので、わかり難い縄張でした。

が、特徴的な3条の竪堀があるということで探しました。

2条が畝堀状態になっているのが、わかりますでしょうか。

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それと少し離れて竪堀があります。こちらの方が浅く長めに伸びています。

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主郭群の緩斜面に築かれています。

自然地形を生かした高い切岸で守られた主郭群ですが、弱そうな部分をこうした竪堀で防御を固めたということでしょう。

全体に薮化しており、把握しにくい山城でしたが、見るところは見れたと思います。

山を通り抜けるように北へ降りました。

城をかすめるように海住山寺と神童寺を結ぶ旧道があるのです。この鳶城は、その街道を押さえる城でありました。

城の外れには、旧道が土橋状になっていました。

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そして進むと、車を置いて歩いてきた道とT字でぶつかります。

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効率よく主郭をめざすなら、この道にぶつかるまで進めばよかったわけです。

ぶつかる直前は、人が歩く幅程度で、とても車が進めそうにありません。

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しかし、少しづつ道幅も広がっていきます。

どれくらい車で踏み込めるかなと帰り道はニヤニヤしながら戻ってきましたが、まあしかし、車は止めておいた方がいいでしょう。歩くのは距離がありますが、道があるのは助かります。

茶畑が見えてきました。もう最初の交差点はすぐです。

ぶつかったT字交差点から車を停めたT字交差点まで約40分かかりましたが、暗くなる前に戻れ、ほっとしました。

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1295白栖城(京都府) [城印象記]

京都府相楽郡和束町白栖西谷の白栖城(森田城)を紹介します。

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山深いところです。車、大丈夫だろうか、そんな不安の中で城に近づきます。それでも白栖区公民館あたりまでは何とかなります。

運転に自信の無い方は①あたりに停めるのが正解かもしれません。

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地図に示した①に案内があります。「森田城」と出ています。

この先は更に狭く、その上勾配もありますので気をつけてください。

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地図に示したように進み、③あたりに登城口があります。(案内なし)

その向かいの余白地に駐車させていただきました。

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道はあります。この坂を登ると茶畑の後ろに出て、右に折れて尾根に続く道を登ります。

「松茸山監視」などの看板もありました。

するとすぐに堀切らしい窪みがあります。

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先ほどの茶畑にしてもそうですが、この尾根そのものが城であったと思われました。

これも堀切でしょう。その先が落ちていて、竪堀となっているようです。

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尾根を登る道です。お陰でお城へ向かうには助かるのですが、遺構を破壊してしまった道かも知れません。

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「森田城」の案内が出てきました。

道は登城用という訳ではなく、山の生活のものなのでしょう。が、この道が切通しのように抜けている箇所は、堀切なのでしょう。切岸として見ても、なかなか鋭いですね。

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その上の曲輪です。削平されています。

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もうひとつ上に広い曲輪があります。少し薮ってたりしましたが、抜けると、その上が主郭です。ここも切岸がいいです。

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主郭も二の曲輪ほどありますが、やや狭いでしょうか。特徴的なのは、右手側に土塁がありました。

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主郭奥に堀切があって、三の曲輪ほどの出曲輪がありました。ここにも、土塁が付いており、この方面に仮想敵を想定していたのでしょう。

このあたりは見応えありますね。

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あと、主郭には土塁のある反対側に虎口が見られます。もっとも、土が流れてしまっていて、見れるというより感じられる、といったことかもしれません。

しかし、山深くけっこう大変と言いながらも割と簡単に訪れ、しかも良好な遺構が多く見られ、満足できた白栖城でした。

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