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1195野間館(大阪府) [城印象記]

大阪府豊能郡能勢町野間中の野間館を紹介します。

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府道4号野間中の交差点から南に入った圓珠寺の駐車場をお借りしました。ここから野間城・野間中城を見学するには便利です。

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目指す野間城は対岸の高いところです。そして、麓には居館があって、画像では左の旗らしきもののある左の茂み付近になります。城と居館がセットです。

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お寺の東側には田んぼがあって、野間屋敷と呼ばれる場所です。

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野間館と野間屋敷の意味の違いがわかりにくいのですが、野間屋敷は野間館より防御性の低い住居スペースという理解でいいのでしょうか。

もう一ヶ所、この地よりやや北東あたりも野間屋敷と紹介されている資料もありました。ここの方がやや高い場所になるので、それらしく感じるのですが、真偽のほどはよくわかりません。(両場所併せて野間屋敷かもしれませんが。)

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さて、橋を渡り山へと向かいます。まっすぐに進み、左へ折れて尾根先を目指します。田んぼが少しづつ高くなっていきます。こんな石垣がありましたが、これは田んぼのためのものでしょうかね。

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こちらは振り返った風景です。野間の里と言ったところでしょうか。

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山に入り込むと、こんな堀のような水たまりがありました。遺構なのか、気になるところですがよくわかりません。ただ居館跡の位置とされるところと、ややずれてはいます。

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この細長い水たまりの左手という位置に上がりこむと、いきなり削平地が広がっています。

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何か自然地形とは違った広がりで、やはりそれらしい雰囲気があります。

果樹園の跡地、とも思えないか、などと考えてみましたが、周囲には土塁が確認できます。

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あまり高いものではないので、それらしく撮影するのは難しいですね。

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東(更に左)には川があり、深く切れ込んでいます。舌状尾根の先という地形になっています。これなら、さほど高い土塁は不要でしょう。

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ほぼ単郭という構造ですが、上の方は、もう少し曲輪があるようでした。

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こんなところかな、と思って野間城を目指して登りを急ぎますが、その途中にも、段郭のような削平地が続きます。

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ただ四角になり、形が整っているので、ここは後世田んぼとして開拓され放棄されてしまったものでしょうかね。手持ちの縄張図にも遺構とは判断されてないようでした。

それにしても、それなりの規模を感じさせる野間館や屋敷です。

野間城が楽しみですね。

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1192能勢丸山城(大阪府) [城印象記]

大阪府豊能郡能勢町地黄の能勢丸山城(摂津丸山城)を紹介します。

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見学を終えてから偶然にも気が付いたのですが、国道477号線東郷バイパス沿い、地図で言えば丸山神社の東、小道に入る入口に案内板がありました。

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   地黄古城 丸山城跡

        大阪府豊能郡能勢町地黄
        標高281m比高50m

 この丸山城は長元年間(1028-37)源頼光の子頼国が摂津から丹波へ通じる交通の要所であるこの地に城を築き能勢氏を称し代々ここを居城とした。
 城郭は北から南へ延びる尾根の先端を深い堀切を設け、尾根を区切り、北より本丸、二ノ丸、三ノ丸、廓など一列に並び細長くなっている。
 史跡は中世の築城様式特有の土塁、竪堀、空堀、帯曲輪等が設けられ防御に優れた山城で幾度も戦いが繰り返されたが、その都度退け、500年余り守り続けた遺構が原形のままで残されている。

 城 名 丸山城(地黄古城)
 所在地 能勢町地黄
 規 模 200m×120m
 標 高 281m
 比 高 50m
 遺 構 土塁、虎口、立土塁、削平地、井戸、竪堀、空堀、堀切
 城 主 能勢氏累代
 年代推定戦国時代

           能勢地黄城築城400年祭紀念事業(2015・4)
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一部表記を修正させてもらいました。熱意はあるのですが、ちょっといただけない感じがする記念事業ではありますが、説明は嬉しいです。

縄張図付きです。

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実際には、清普寺の見学を終えたあと、登城しました。車は、そのまま清普寺の駐車場を利用させていただきました。

こちらから見る丸山城は、丸山に見えます。

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この小山の右1/3あたりに登城道があります。田んぼや害獣よけの電線もあるので、まわりこむように山に入ります。

入口に石造九重塔があります。

鎌倉時代(弘安11(1288)年)のもので能勢氏の武威と経済的な力を感じさせるものです。大阪府の有形文化財です。

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もう少し行くと「史跡城山城跡」という棒杭があります。こんな登城口・登城道ですが、大手口にあたります。

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登ること数分で南郭に出ます。

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振り返ると社が祀られています。丸山神社でしょう。

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社のある北へと足を進めます。背後には切岸状になった削平地があります。

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主郭です。

さほどは広くない削平地で、詰まらない風景ではありますが。

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主郭の周りは帯郭が巡り、よく切岸がわかります。

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北へと、二郭へと、進みます。間に小さな堀切です。

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そして二郭の先は狼煙台跡とありました。うっすらとわかる程度の遺構です。

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しかし、驚いたのはこの突端から覗き込んだ谷です。縄張図を持って歩いているので様子もわかっているつもりなのですが、この落差は意表を突かれました。

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振返ると二郭と主郭との接続部が見えます。この虎口がいい感じに思えます。

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二郭から降りてきて、その先の北郭を見たところです。少し高台になってます。

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しかし、振り返って見る二郭が高い位置です。堀切の案内がありました。プラス切岸ですね。自然地形を利用しているのでしょうが、敵を寄せ付けぬ高さです。

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北郭の周囲も郭があり、防御拠点になっているようです。単純そうでなかなか複雑な組合せです。

そして、その先も大きな落差があり、道路に面していました。

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低い山ですが、その比高を十二分に発揮させているところが素晴らしいですね。

一直線に並んだ縄張で、簡単なようで複雑なところがあって、それは長い歳月を使われたからなのでしょう、またコンパクトな城にも感じました。

再び戻って南郭からの眺望です。地黄城がすぐ近くに見えます。

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1189地黄城(大阪府) [城印象記]

大阪府豊能郡能勢町地黄の地黄城(地黄陣屋)を紹介します。

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今は廃校になってしまいましたが、能勢町立東中学の場所が地黄城です。

校門が城の虎口で、石垣が見事です。

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案内板も、碑もあります。

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   地黄城址(地黄御陣屋・丸山新城)

     旗本 能勢氏の居城
     築城 慶長7年(1602)-元和元年(1615)
 
 ここ東郷地域は城門遺跡や古墳群がみられ、さらに律令下では朝廷の典薬寮園となり、古くから政治文化のさかえた土地柄である。
 平安後期、多田満仲の一族が能勢に入部して土豪化し、のち国基になって能勢郡を領有、はじめて能勢氏を名乗り、西方の丸山城を本拠地とした。
 戦国争乱は能勢氏にもおよび、天正10年(1582)本能寺の変には明智方に加担、そのため秀吉配下の河原長右衛門宣勝らの乱入をうけて、丸山城をはじめ城下は焼野原となった。
 城主頼次は能勢を離散、以後領主は高山右近をはじめ、数代を経て天正16年(1588)島津氏の管掌するところとなった。
 能勢氏中興の祖といわれた能勢頼次は、関が原の合戦には東軍に組みし、軍功により旧領・預地をあわせ1万石余が宛がわれた。
 頼次は領内の野間社(布留の宮)の再建を手はじめ、ついで新らしく「地黄城」と、城下町の構築に着手した[慶長7年(1602)]。
 普請奉行山田彦右衛門の縄張りにより、東西75メートル・南北110メートル・面積8200平方メートル、さらに大手・搦手・裏には堀をめぐらし、四方には石垣を高く築き高塀が設けられた。
 城内には御殿・官宅をはじめ拾数屋舎が配され、北隅には三層の楼閣がきわ立った。普請完成は元和元年(1615)とされている。
 近世初頭の陣屋城として偉容をを輝かせたが、星はうつりて明治2年(1869)藩籍奉還となるや、旗本能勢氏(4千8石)も累代祖霊の見守る中終焉をつげたのである。

○慶長7年(1602)-元和元年(1615)、丸山城から現在地に新城として築城。
○北側の石垣は「印内積み」といわれ、河原長右衛門宣勝の領民が宣勝助命の恩義のために築く。
○明治2年(1869)12月2日、上地、以後会議所として使用。
○明治8年(1875)第2番小学校(地黄小学校)開設。
○明治12年(1879)-明治14年(1881)能勢郡役所。
○昭和34年(1959)能勢町立東中学校。

清和源氏 頼光流

能勢

国基-国能-保頼-頼綱-頼仲-長頼-頼任-頼連-頼澄-
頼時-之頼-元頼-頼勝-頼明-頼幸-頼次-以下十代を経て明治維新となる。
(寛政重修諸家譜)

   平成6年3月 能勢町教育委員会

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今はここを車で抜けて内部に駐車することができます。

桝形を振り返ったところです。

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というのも、かつての校庭はただの原っぱになっていました。

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その風景に驚かされました。以前訪れたのはもう10年以上前です。確か体育館があって、学校の設備がまだ何かあったような気がするのですが・・・。

校庭の隅には大きな城址碑があります。

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この城址碑の右奥の石垣もなかなかいい感じです。四周を石垣が囲ったという片鱗をうかがえます。

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まだ上の段には廃校になった校舎が残っているのですが、気分は何にもない何にもない、でした。

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かつては、学校ということで気を使って見学したことでしょうが、何もなくなってよかったのでしょうか。

周囲を歩きながら、考えさせられたのでした。

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1186杉原城(大阪府) [城印象記]

大阪府豊能郡能勢町杉原の杉原城を紹介します。

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京都大阪の境になります。府道732号線の南側の一段高くなったあたりに仏称寺が見えます。ここの境内に車を停めさせていただきました。

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ちょっとした工事をされていて声をかけると、どうぞ、とのことでした。車は2,3台停めれそうです。またここは杉原小学校の跡地でもあります。

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城の案内板がありました。

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   杉原城址(すぎはらじょうし)

 ここ杉原地区は、能勢町の東の端に位置し、往古より「摂丹」つまり「摂津」と「丹波」の国境にあって、軍事上の要衝の地とされてきた。
 「・・・能勢郡吉野村へ越ス峠マデハ、掘越峠ヨリ山尾ニテ吉野村東山尾ヨリ桑田郡加舎村定杭へ見通ス国境ニ有之候事。慶長7年壬寅3月」
と当時の国境について、「犬甘野村由緒書」に見える。
 また、杉原村を通過する北西への街道は、国境に添って歌垣山の東山麓を通り吉野へ出て、そこから摂津路へ、丹波路へとするのが本街道であった。戦国乱世において、このような土地に城が築かれるのは当然なことである。
 ここ杉原城址は村の中央の高台にあって、鎮守の森として八幡社が祀られているが、その一帯が、まぎれもなく戦国時代の山城の跡である。天保年間の村の古地図に、小字名として「城山」の名をとどめているし、遺構としても顕著に残っている。
 八幡社へほぼ登りつめたところに、屈曲した「虎口」(入口)が見られ、そこを過ぎると、広い「郭」跡に出る。こうした郭跡は、西から押し出した尾根上に6ヶ所残っている。城址の最も高い所には、2ヶ所の「堀切り」と「土塁」が築かれ、さらに「竪堀」の施設があるなど、重要な防御点を示唆している。いうまでもなく、尾根続きの敵兵を遮断するためのものである。「本郭」の両袖には、「武者出し」か「武者かくし」を思わせる遺構もあり、あちこちに残る虎口には、「桝形」を思わせる複雑なものも見られる。
 もともと杉原村は、慶長7年(1602)ごろまでは、丹波国桑田郡犬甘野村(現亀岡市西別院町犬甘野)であった。犬甘野といえば、口丹波に台頭した長沢一族の本拠地であり、杉原城は、その境目城、あるいは砦ではなかったかと思われるが、高橋成計氏は、丹波の数掛城(現亀岡市本梅町)の出城として、吉野城(現能勢町吉野)・杉原城が築かれたという説である。
 築城は、天文~永禄期(1532-1570)の頃と想定されるが、いずれにしても、杉原城は町内の山城の中でも中規模の城郭に入り、遺構としては、氏神の鎮座もあって当初の姿がよく残っている。

   平成12年3月  能勢町教育委員会

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縄張図付です。

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ここからお城まで距離があるようにも思われましたが、尾根先にあるお城の直下というような位置になります。

お城へは、お寺を出てすぐの道を右に曲がり、坂を上がります。

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坂を登ったあたりに登城道があります。正面の石段です。

八幡社があるため、道が整備されているのです。

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山道を進むと虎口にあたります。登り道が折れ曲がり、土塁で桝形が形成されています。これは見事な遺構で、案内板で写真入りで説明がある通りです。

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広い郭に出ました。

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ひとつ上の郭には八幡社が祀られています。広い郭とその郭、そしてその上の本郭。それらの切岸が際立っています。

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本郭です。細長い削平地になっています。尾根先の地形を利用しているのがよくわかります。

途中(全体の奥1/3あたり)が少し高くなっていて、郭として使い分けをしていたのでしょう。最奥は土塁になっています。

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本郭の袖を除くと帯郭が見えます。武者かくしと説明される遺構です。

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見所かと期待してきた本郭背後の堀切は意外と小さいものでした。

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しかし、堀切は確かなものであり、竪堀となって落ちています。こうして、その後ろから、堀切や土塁越しに本郭を眺めても、ああ、山城だなと感じる景色であります。

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コンパクトにまとまったお城で、遺構がよく観察できます。山城って、こういうものとお話しするには、いいお城です。簡単に、こんな夏場でも見学できるので、ちょい寄りにもお勧めですね。

最後はお城の全景を狙ったものです。山を収めるのだから、もっと引いた位置でないとダメでしょうか。

尾根先にある山城です。

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1185余野本城(大阪府) [城印象記]

大阪府豊能郡豊能町余野の余野本城を紹介します。

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国道423号線切畑口交差点を南に曲がります。目指すは、ここから北西4~500mの丘陵のピークです。付近は道は細く駐車できる場所はほとんどありません。駐車には苦労しました。

少し遠くに停めて歩きました。余野本城が見えます。手前が東出丸で、奥が主郭になります。

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東西尾根の南側に着きます。資材置場があり、そのあたりから登れるという紹介もありましたが、それらしいものが見つかりません。とにかく、あの尾根だと決めて山にもぐりこみました。

山すそに田んぼがあるのですが、実は害獣駆除のネットがあってそれを避けて回り込むのに苦労してしまいました。比高はわずかですが、その点では攻略は大変です。ご迷惑をかけないよう、配慮して山に入って下さい。

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まずは端っこからです。東の尾根先のピークを東出丸としましたが、全くの自然地形で、城遺構は感じられません。

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その東出丸から主郭へ向かう方向へ下ってきたところに、堀切っぽい竪堀があります。

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そして尾根を登るように主郭に近づきます。

主郭に近づくと俄然お城の遺構を感じ始めます。まずは一番高い所へと足を運びます。気が付くと、そこは切岸に囲まれた櫓台でした。

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段差としてはわずかですが、その周囲に広がるのが主郭になります。

なにか仕切りを意図したかのような起伏もありますが、この削平地はひとつの曲輪なのでしょう。広い主郭です。

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主郭を歩いて、櫓台から一番遠くまで来ました。周囲はうっすらと土塁がみられます。高さは失われてしまったのかもしれません。が幅はありそうです。

この櫓台から遠い所の土塁には、石も多く見られました。石での補強があったのかもしれません。

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周囲には、上からは帯郭が巡っているように見えました。

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が、確認に降りてみると、横堀がめぐっているというところでしょうか。

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周囲は、見所ある遺構が見られます。横堀の要所要所に竪堀があります。なかでも、櫓台から見て櫓台直下の東の方向にある竪堀は、長そうです。よく掘られています。

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また西側には畝状竪堀が見られます。

わかりにくいでしょうか。現場では大いに感動していました。

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主郭から、北西方面に降りる道がついていて、登城道になるのでしょうか。

その道を進んだところに井戸があります。これまた、明確な遺構です。

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振返って見た景色です。井戸の向こうは土橋になっています。上のラインが主郭になります。

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その先はいうとこんな様子です。削平された曲輪のような、自然地形のような、微妙な感じが続きます。

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しかし、空堀といっていいのではという明確な部分もあり、迷います。

とりあえず、ここが端っこの堀切になるようです。

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主郭とその周辺の遺構は見事で、大きな単郭の発展した山城といっていいのでしょう。周辺への広がりは、城の拡張を意図していたのでしょうか。

そのあたりはゆっくり考えてみたいところです。

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1177上山城(新潟県) [城印象記]

新潟県南魚沼市浦佐の上山城を紹介します。

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浦佐城から刑部沢川を隔てた北の尾根になります。県道沿いに「浦佐西山自然探勝路秋葉様(上山城址」の案内図があります。

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林道は車で進めます。ただ駐車場に適当な場所がなくてウロウロしましたが、それでも余白地はあるのでなんとかなると思います。

徒歩約10分とある登山口です。

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道が整備されているので歩きやすいです。

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ほどなく削平地がある場所に着きました。ここが城址というわけですね。

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ちょっと拍子抜けの感は拭い去れませんが、ほぼ単郭の砦といった感じの山城でしょう。この削平具合いは後世的に整地したものでしょうが、見晴らしはよく、城としての役割は充分果たせそうです。

まあ、おまけに1城見学出来てよかった、というところでしょうか。

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南の浦佐城を見たところです。浦佐城よりはやや低い位置です。浦佐城を補完したことだろうと思われます。

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奥には秋葉様が祀られています。浦佐城は薬師様、上山城は秋葉様なのですね。

この盛り上がりの土塊は櫓台であったと思われます。

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周囲も見ましたが、これらしい遺構はありませんでした。

背後は尾根が続いています。堀切があってもよさそうなところです。そんな訳で性懲りもなくかなり先まで歩いてみました。けど、それらしい遺構はありませんでした。

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1176浦佐城(新潟県) [城印象記]

新潟県南魚沼市浦佐の浦佐城を紹介します。

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駅から近いところではありますが、城下になる県道71号線は車も少なく余白地に駐車できそうなところです。登城口があり、案内板があります。訪れた時は赤いのぼりがあり、すぐわかる状態でした。

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対北条氏を意識した上杉氏の守りの城であることが記されています。

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南魚沼市指定文化財

   浦佐城跡(浦沢城址)

                   昭和56年3月30日指定

 浦佐城跡は薬師山(標高約300メートル)に築かれた中世の山城跡で、山麓を通る三国街道を迎え、魚野川の舟運を監視する要地に所在する。天正6年(1578年)3月に上杉謙信が急死すると、二人の養子、上杉景勝(坂戸城主長尾政景の子で、謙信の甥)と上杉景虎(小田原北条氏康の子)が後継者の座を争い、越後国を二分する戦乱が勃発した(御館の乱)。同年9月、北条軍が景虎に加勢するため関東から侵攻し、浦佐城を含む南魚沼の諸城を攻略した。翌年、雪消え近い2月、景勝は北条軍の再攻撃に備え、清水藤左衛門に浦佐城の守備を固めるように命じている。
 薬師山の尾根は東に細長く延び、両側は深い谷となって急崖をなしている。山上は大きく三段に削平され、4つの郭が築かれている。下段に位置する第4郭は丘陵先端部直下の南側山腹ににあり、8メートル下には幅1メートルほどの溝が帯状に巡っている。中段の第3郭は第4郭の直上、尾根の先端部にあり、北側は細長く小高い小丘状を呈する。上段の第1郭と第2郭は、第3郭の背後に13メートルの比高差をもって連続する。第1郭は長さ90メートル、幅18メートルの最大の郭で、第2郭との間は幅10メートル、深さ6メートルの堀切によって断ち切られている。第1郭から20メートル下の南側山腹には、この堀切と第4郭を結ぶ幅6メートルの帯郭が設けられている。第2郭の背後(西側)は幅20メートル、深さ10メートルの大きな二重の堀切によって尾根が断ち切られており、背後の防御を非常に堅固なものにしている。山上の城郭は全長260メートルに及ぶ。

   所要時間 約20分(片道)
   比高差  約160m(登り口~山上)

              平成21年3月 南魚沼市教育委員会

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縄張がわかる立体図がありました。

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道は整備されていて登りやすいのですが、さすがにこの季節ですので、草がのびていました。

こちらは図でいうところの第4郭です。

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帯郭を伝うような恰好で第1郭と第2郭の間の堀切へ登ります。

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そして第2郭から振り返ったところです。よく掘り切られた様子がわかるかと思います。

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第2郭です。草生していますが、通路が示されています。

第1郭と示された場所よりも高所で、私的には主郭と言っていいようにも感じました。

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そして、その奥にある二重堀切です。堀は深く、案内によると「幅20メートル、深さ10メートル」と言うのですから立派なものです。これほど草があるというのに、くっきり写っています。

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間を細い土橋が通っています。細いうえに、高低差もあるので、草枯れて全部がスッキリ見えると、歩くのが怖いくらいかもしれません。

そしてまた、反対から振り返ったところの景色が圧巻でした。

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浦佐城は眺望のよい城でした。田んぼの中を走る上越新幹線。その向こうには、六万騎城が見えます。尾根の先端です。

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また隣の尾根筋にも削平地が見えていて、上山城というお城があります。

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戻るようにして第1郭に着きました。ここが第1郭というのも、よく削平されていて、周囲も作りこんだ形跡がうかがえるからでしょうか。ともかく、城の中心に位置することだけは確かです。

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自然地形も生かした堀なども細かく見られました。

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下って第3郭です。この先端には薬師様を祀った祠があります。

草生していましたが、奥の二重堀切をはじめ遺構も充分楽しめる山城でした。

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1175大崎城(新潟県) [城印象記]

新潟県南魚沼市大崎の大崎城を紹介します。

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関越道と県道28号線が交わる東に坊谷山があります。ここの南西尾根先の突端という位置に大崎氏の居城大崎城があります。

県道28号線から入ったところに登山者のための駐車場があります。

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坊谷山は「ぼたんやま」と読むのですね。「大崎城跡(坊谷山城)」の記載と、山の案内もあり、ハイキングのできる山として整備されている様でした。

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さあ、登山道入口です。「見て二割登って五割医療費削減坊谷山」という看板もあります。山歩きを奨励しています。

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尾根沿いの道をほぼ一直線に登って行きます。整備されているので歩きやすいですし、雨に濡れて緑が鮮やかでした。

手前の木には「イタヤカエデやく400さい」とありました。

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いよいよ城域中心部です。堀切に尾根道が土橋状になっています。

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振返って堀切を確認したところです。遺構が読み取れます。

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主郭です。削平地が広がります。

比高120m、約15分ほどで登れました。

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主郭背後の堀切は高低差もありポイントでしょうかね。

他にも、土塁・石積みなど確認でき、中世山城を楽しめます。

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1172坂戸城(新潟県) [城印象記]

新潟県南魚沼市六日町坂戸の坂戸城を紹介します。

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標高634mの坂戸山山頂に広がる中世山城です。比高470mにもなる屈指の山城で、ここを踏破したいと思っていましたが、やっと実現しました。

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こちらは、登城口になる鳥坂神社前の駐車場です。あいにくの雨天で、カッパを着ての登城となりましたが、広い駐車場には何台も車が停まっていました。坂戸城は登山ハイキングとしても人気があるところです。

そこには案内図付の説明もありました。

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国指定史跡 坂戸城跡

坂戸城跡は坂戸山(標高634m、山麓との比高差約450m)とその西麓に築かれた中世から近世初頭にかけての城跡である。南北朝時代(14世紀中頃)、新田氏に替わって上杉氏が越後守護になると、家臣の長尾氏(上田長尾氏)が勢力を伸ばし、やがて南魚沼地方(上田庄)を治めるようになった。16世紀初頭、越後国内が戦国の動乱期に入り、坂戸城は長尾房長による本格的な築城が始まった。天文19年(1550年)、長尾景虎(後の上杉謙信)が越後国主となるに及び、翌年、政景(房長の子)は景虎と和睦を結び、臣従するに至った。天正6年(1578年)謙信が急逝し、政景の子景勝が御館の乱(1578-80年)を経て越後国主になると、坂戸城は近隣武将の城番とされ、領国経営の要所となった。慶長3年(1598年)、豊臣秀吉の命により景勝は会津に国替えとなり、春日山城には越前から堀秀治が入った。坂戸城には秀治の家臣堀直竒が入ったが、同15年(1610年)信濃国飯山に移され、坂戸城は廃城にとなった。
 坂戸山山頂部と主要な尾根には、石垣をもつ実城をはじめ、主水郭・大城・小城などの郭群が築かれている。実城をやや下ると桃之木平という広い郭があり、兵糧などの貯蔵や大勢の城兵が立て籠もる際に使われたと考えられる。寺が鼻尾根には小さな円形の塚が数多く存在する(寺が鼻百塚)。西麓には、城主館跡(通称御館)・家臣屋敷跡・御居間屋敷跡がある。城主館跡は1町(約110m)四方あり、周囲を土塁で囲み、正面の土塁には高さ約2mの石垣が築かれている。家臣屋敷跡は城主館跡の前方一帯に広がり、直竒が家臣たちをここに集住させた。御居間屋敷跡は城主館跡のすぐ南側、薬師尾根の中腹にあり、直竒が築いたものである。城主館跡の前方一帯に広がり、直竒によるものである。西麓部と山頂部・尾根上の郭群を結ぶ道としては、桃之木平を通る城坂と呼ばれる沢伝いの道が使われた。
 昭和54年(1979年)、典型的な中世山城の姿をとどめているとして、国の史跡に指定された。

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この駐車場の手前には内堀もあります。

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車止めがあって車では進めませんが、道があります。まず左手に家臣屋敷の跡が見えてきます。

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石垣と碑が見えます。館跡になるのでしょうか。

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広い敷地になります。これで充分、坂戸城を見た気分にはなると思います。が、山頂にある実城にたどり着いてこその坂戸城です。

雨が降っています。

この日、長野県も群馬県も晴れていました。日本海側ということで、単に県境を越えたという以上に境を越えた気がしました。

こんな日にと思わない訳ではありませんが仕方ありません。これをためらっていては、チャンスをものにできません。それにしても、山は高くそびえるのでした。

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距離的には半分近く進んだところに大きな一本杉があります。ここに案内板があります。

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しかし、山はこれからです。沢沿いの山道をくねくねしながら登ります。道は小道ながら整備されています。途中、沢を横断したり、また山陰に雪が残っていたところもありました。

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案内も出ているので迷うことはありません。途中の岐路で主水郭に上がりました。

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ここまでで約1時間かかりました。道は整備されていたので登るのは大変ではありませんが、それでも1時間も歩いたのかと驚きです。

さっそく山城探索の開始です。

これほど高所にある山城なのに、自然地形を利用しただけの遺構ではではなく、しっかり作りこまれた遺構に驚きます。変な言い方ですが、普通に中世山城の縄張が展開され、遺構が残っています。

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富士権現のある実城へ来ました。ここが中心部になります。

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「坂戸山頂上634m」の案内もあります。ついに来ました。

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あいにくの天気ではありましたが、雨は小止みになっていて写真も撮れました。こんな坂戸城もいいですね。緑が濃くなっています。

眺望も抜群でした。むしろこれほど高所なのに、街道あたりがしっかり手に取るように見えるのが意外くらいでした。

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こちらは南南東の尾根に続く大城小城です。ガスが発生してますが、いい感じですね。

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さっそく、大城小城にも侵攻します。途中、小さな二重堀切も見られますし、よく作りこまれています。振り返ったところの実城もいいですね。

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細尾根を進みます。

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小城を越え、大城まで来ました。

土塁で区画が区切られています。その奥の櫓台のような土塊から撮っています。

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またここから見る実城も印象的なものでした。

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高所でありながら、ごく普通に山城遺構が残っていることに感動しました。城域も広く、天候のこと、緑が深くなったこともあって、遺構探索としてはまだまだ見たりない気もしましたが、要所はしっかり楽しめました。

下山です。

コースを替え、途中桃之木平に寄りました。広い曲輪があります。

周囲に段曲輪や畝状の竪堀もあるようですが、それらは充分確認ができませんでした。

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登ってきた登山道に戻ります。まだ下山にはひと息かかりますが、見学は終了です。

日本でも指折りの比高を誇る坂戸城も、よくある中世山城と同じ遺構です。当たり前のことでしょうが、ちょっと意外な感じと、やっと来ることができた安堵感を感じました。

しかし、途中の景色とはいえ、この見下ろす景色はやっぱり坂戸城ならではだなぁ、と感じ入ったのでありました。

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1170荒戸城(新潟県) [城印象記]

新潟県南魚沼郡湯沢町の荒戸城(荒砥城)を紹介します。

より大きな地図蔓草マップ を表示

国道17号線のトンネルの上になります。トンネル前後の旧道に入って進むと登城口に着きます。登城口に数台分の駐車が出来ます。

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案内板がありました。縄張図もあります。

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  荒戸城跡

  新潟県指定文化財(史跡) 新潟県南魚沼郡湯沢町大字神立・大字三俣

 荒戸城は、上杉謙信亡きあと景勝景虎の跡目相続争い御館の乱の際、景虎を支援する、北条氏の関東の侵入に備えて天正6年(1578年)景勝が、登坂与衛門尉らに命じて築かせた城で、三国街道芝原峠を見下ろす尾根上に位置している。
 城跡は、土塁に囲まれた本丸を中心に空堀で囲まれた二の丸、三の丸があり郭の入り口は、それぞれが外桝形で固めるなど小規模ながら堅固な作りになっている。中世の山城としての原形をよくとどめており、貴重な史跡である。

  昭和51年3月31日指定 新潟県教育委員会 湯沢町教育委員会

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雨が降るか降らないかという微妙な天気でしたが、なんとか見学できました。

大手口方面から見上げたこの感じがいいですね。枡形や虎口が高低差を伴って見れます。

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こちらは主郭です。特別、大きなものではありません。

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主郭の周りには土塁があります。高くはないですが、分厚いものですね。

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三の丸から見上げた主郭です。

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堀もよく残っています。

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中規模の実戦的な前衛基地を感じました。表示もありますし、よく遺構が残っているので、縄張図を片手に見て回ると面白い城です。

また天候のよい時にゆっくりと立ち寄ってみたいです。

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