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1419湯浅温泉湯浅城 [湯めぐり]

湯浅城という模擬天守があって、そこで日帰り入浴ができるということで寄った。

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もうすっかり陽が落ちて、要領を得ない。駐車場はいっぱいで、たまたま一つあったスペースに入り込めた。

日帰り入浴500円。

どうやらメインは泊まりらしい。ちょっと思っていた感じと違っていた。脱衣場にはロッカーはないそうで、一度車に貴重品を置きに戻った。(貴重品用の小さなロッカーはあるが。)

風呂は大きな湯船が一つ。他に仕掛はない。サウナや露天や水風呂がないのは残念だ。

湯はアルカリ泉ということだが、サラっとしている気がする。あまり温泉らしさは感じない。

それでも、ゆったりして、しっかり温まれてよかった。

後は食事をとったり、ゆっくりと休憩室でiPadでネットのログ読みでもしようかな、というところだがそんな雰囲気でもないので、早々に退出した。

23時(受付22時)まで日帰り入浴を受け付けてくれるのはありがたいが、ゆっくりできなかったのは残念だな。

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翌日、湯浅城に行った。その前にと、こちらの模擬天守もパチリ。

四周を多聞と隅櫓で囲って中央に天守があるという、ありそうでありえない模擬天守ならでは風景なのだが、景観的にもちょっと雑然としてしまって残念だ。城郭風建築のファンだっているはずだ。もう少しこだわって欲しいな。

イマイチだ、と言いながら、満更でもなさそうに何度もシャッターを切ってきた。

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1418ポケモンGOレベル37へ [ポケモンGO]

一瞬これは何かとドギマギした。

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2/24コミュニティデイで12-15時の限定でミニリュウが大量発生ということらしい。イベント中にカイリューまで進化させれば「りゅうせいぐん」という技を覚えるらしい。それまでできなくても、ミニリューを少しでも多くゲットしたいところ。情報を忘れていた。残念なことをした。

たまたま気が付いたけど、ハングアップするわ、ボールがなくなるわ、でバタバタしているうちにタイムアップ。

でも色違いのミニリューをゲット、まずはハクリューに進化させた。

ま、これだけでもよかったか。

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そんな、ちょっと気が抜けたポケモンGOライフであるが、やっと、やっと、レベルを37にあげることができた。

今回のレベルアップに要した日数は103日だった。

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前回までのレベルアップと比較してみると。

「30」へレベルアップ → 18日( 350,000/18≒19,444)
「31」へレベルアップ → 24日( 500,000/24≒20,833)
「32」へレベルアップ → 23日( 500,000/23≒21,739)
「33」へレベルアップ → 37日( 750,000/37≒20,270)
「34」へレベルアップ → 36日(1,000,000/36≒27,778)
「35」へレベルアップ → 35日(1,250,000/35≒35,714)
「36」へレベルアップ → 81日(1,500,000/81≒18,519)
「37」へレベルアップ →103日(2,000,000/103≒19,417)

レベル37は3月初旬を予定していたが、ギリギリ2月でいけた。気が抜けたようでもあるが、ぼちぼちと頑張っているともいえる、のかな。マイペースで楽しめればいい。

次のレベル38は2,500,000XP。遠く果てしもない数字になっている。

計算してみると7月頃かな。よし、七夕をひとつ目標にしよう。

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ラッキーを相棒にして歩いているが、やっとアメがたまってきた。ふしぎなアメを足したら50ヶあることに気が付いた。この機会に進化させてみた。

(ああ、ふしぎなアメをゲットするためにも、レイドやらないといけないな。)

初ハピナス誕生。

おお、やっとレベル37にしてハピナスをゲットだ。

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まだまだ弱っちいけどね。

cp3000超えのポケモンは、10体になった。カイリュー、バンギラス、サイドン、ギャラドス、カイリュー、ギャラドス、ギャラドス、ギャラドス(赤)、サイドン、カビゴン。

伝説のポケモンは一向に増えないが、ポケモン捕まえた数は312になった。内訳は、カントー143、ジョウト90、ホウエン79.

最近のアクティビティとしては、バトル勝利数4151、歩いた距離1,714.09km、つかまえたポケモン17896。

金のジムは1つからこちらも増えてないが(ちなみに銀は26)、ジムの踏破数は414となった。

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1417和歌山県旧南部町のマンホール [マンホール]

和歌山県旧南部町のマンホールです。

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アカウミガメの親子が描かれています。みなべ町の千里浜は、産卵地として有名なところだそうです。

下部中心に町章が入っています。これが旧南部町の町章なので、旧南部町のマンホールとしました。小さくて見にくいですが、ミナベとデザイン化された文字があります。

みなべは古くは「三鍋」と書かれていたそうで、紀州備長炭や梅の産地としても有名です。どちらも日本一の生産を誇ったそうです。

2004年(平成16年)南部川村と合併して、みなべ町となりました。

みなべ町は、南高梅の生まれたところとしても知られています。今や地域ブランドとして認定を受け、ウメの町として頑張っているように感じました。

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1416和歌山県旧川辺町のマンホール [マンホール]

和歌山県旧川辺町のマンホールです。

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町の花ミカンの花をバックに描かれているのは、みかんをモチーフにした「スマイルブラザーズ」です。名前は、まちと・きみと・ゆめと。仲良し3人組です。顔が少しづつ違うのが面白いですね。

みかんの町川辺ですが、そんな町あったっけと慌て、川辺町がわかる何かと思って撮ってきたのが、こちらの道路標識です。

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1415和歌山県広川町のマンホール [マンホール]

和歌山県広川町のマンホールです。

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デザインは同じですが、青みがかったようなタイプと、金色っぽいようなタイプのものがありました。

これって、金・銀・銅メダルを意識したの?と思ってしまいました。それは、ちょっと、オリンピック疲れでしょうか。

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中央には広川下流域で行われているシロウオ漁が描かれています。あの四角いのは四つ手網といわれるもので、川に組んだ櫓から網を沈め、シロウオをすくい取ります。

周囲には町の花ササユリと町の木アラカシです。

「ひ」を図案化した町章もあります。

マンホールには「ひろかわ」となっていますが、1996(平成8)年に「ひろがわ」に変更したと町のサイトの「広川町の沿革」には紹介されていました。

夜明けの広川町役場です。隣町ではありますが、湯川町から近く、マンホール画像を撮りに、ちょっとお邪魔しました。

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1414和歌山県九度山町のマンホール [マンホール]

和歌山県九度山町のマンホールです。

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中央は町章です。そして、町の木カキが描かれています。

あまり知らなかったのですが、紀の川流域は柿の産地で、和歌山県は都道府県別で柿生産が日本一だそうです。この九度山町もご多分に漏れず、柿は特産品なのでしょうね。

道の駅にも「柿の郷くどやま」とあります。

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九度山は、高野山開祖の弘法大師空海が月に九度母に会いに来たということから、九度山という地名になったそうです。

その母がいた慈尊院です。本堂の弥勒堂は国の重要文化財であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部になります。

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1413堂山城(愛知県) [城印象記]

愛知県豊橋市石巻中山町太陽寺跡の堂山城を紹介します。

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医神社の北東、山のふもと、というより山中といった位置にあります。

まずは医神社から向かいます。

地味な神社という言い方も変ですが、見つけにくいというか見落としやすい神社ですね。前を通り過ぎても気付きませんでした。近くの余白地に停めて、石段を登ります。

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けっこうな石段です。境内に社が見えて、ほっとひと息。

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目指す城は、右前方の山中です。境内をはずれると藪です。石段も辛いですが、斜面の薮も嫌なものですね。

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ななめ上に横断しました。適当に木々のある山に突入したのですが、あるではないですか、削平地が。うれしい瞬間です。

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歩き回ってみると、3段の削平地が確認できます。山中ですが、自然ではない人工的な遺構です。

段の間は、切岸状になっていました。

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ここには、かつて太陽寺という天台寺院があったそうです。大永2年(1522)に焼失という記録があるそうですが、その場所に堂山城はありました。八名郡誌に記されているそうです。

標高150m比高70mという山腹の位置です。

どんないきさつでこの地を城として利用したのか、わかりません。

削平地には、石が固まって置かれているところもありました。何か庭園でもあったのか、と想像されます。

そんな謎めいた堂山城でした。

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1412東三河の西郷氏とは

 昨日書いた萩平山城の近くにある西郷小学校の横にはこんな案内板がある。

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  西郷弾正と西郷校区

 西郷校区には、昔、小野田庄、太陽寺郷等の呼び名があった。西郷の地名は文明十年(1478)頃発生した。又佐井天神、西郷弾正に由来するか否かは未だはっきりしないが西郷氏勢が岡崎より来た頃西郷と呼んだと思われる。

 西郷氏は永正年中(1504-21)に嵩山に来て、天正十八年(1590)関東入りの時まで此の地を支配した。
 五本松城、西川城、月ヶ谷城を本支城とし、その周辺にいくつかの砦を配しており、今日その多くの遺構を見ることができる。
 桶狭間合戦の後、永禄五年(1562)遠州宇津山城主朝比奈泰長の軍に夜襲され、正勝、元正父子等七十数名が討死した。
 西郷清員(後の西川城主)が城を奪回し、西郷家を再興して数々の武功をたて、更に又清員の妹の娘、お愛(西郷局)が浜松城徳川家康の側室となり、二代将軍秀忠公を産み、
徳川三百年の礎となったことは西郷家の不滅の栄誉である。

 校区名「西郷」はこの西郷氏に由来すると考えられている。

      西郷郷土史会 (※一部西暦年を加筆)
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 以前から気になっている説明である。

 岡崎より来た西郷氏勢とは三河守護代だった西郷氏のことだろう。

 三河守護代西郷稠頼の子頼嗣は岡崎城(当時龍頭山城と呼んだ)を築城したが、北方から勢力を伸ばしてきた松平氏に屈服し、信光の子光重を婿として迎え入れ、大草(岡崎)松平となった。

 その大草松平もその後安城松平の清康に攻めらた。新しく岡崎城主となった清康の孫にあたるのが家康だ。西郷氏は、清康に攻められたその時にこちらに逃げ落ちて来たというのだろう。

 その西郷氏の娘を孕ませ、子が生まれた(秀忠)というのも、因果な話である。

 こんな話を聞くと、信光の子光重が岡崎に入り込んだ話も秀忠誕生にまつわる話の伏線として創作されたのではと勘ぐってみたくもなる。

 また単なる土豪である西郷氏を、こう脚色したのか、と思ったりもする。

 西郷氏のことは、気になる歴史だ。

 もっと確かなことを知りたい、と思うが、ただ思うばかりで何ら知識が増えることもなく、ただ時ばかりが過ぎて、年をとってしまった。もっと本を紐解きたいものなのだが・・。

 看板もずいぶん傷んでしまったことだ。

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1411萩平山城(愛知県) [城印象記]

愛知県豊橋市石巻萩平町城山の萩平山城(別名鷹打砦)を紹介します。

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県境の山の多い地帯の一番手前に位置する山です。平野部に進出するのにいい拠点になりそうです。

西郷小学校前から見た萩平山城です。西郷弾正の城と伝わります。

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登城口は北側にあります。山の上には、秋葉神社が祀られており、その参拝道になっているのでしょう。

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付近の道は狭く適当な余白地がないのですが、近くの公民館に停めさせてもらいました。

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登城口はこちらです。

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城のある頂上は標高156m、比高は約80mです。ゆるやかそうな山に見えましたが、やはり坂道はそれなりに厳しいです。

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途中、里の景色も望めました。西郷小学校が見えます。

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一気に登ると、割とあとはなだらかです。神社を目指します。

ひとつ堀切を越えると二の曲輪になるようです。細長く何となく平ら、といった地形です。

そして、堀切です。向うには社も見えます。

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くぼみはわずかで小さな堀切です。でも、現地ではもっと堀切らしく感じたものです。今度は社のある主郭側から見た堀切です。どうでしょうか。

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小さな祠があります。

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その向こうには、立入禁止が付けられた倒壊しそうな社がありました。

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その先にも削平地があります。このあたりが主郭でしょう。

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その先は腰郭です。切岸は鋭くはありません。

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一部腰郭を区切るように土塁状にのびている部分も見られます。

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その先には更に腰郭もあり、工夫された縄張が展開されているようにも感じられました。

ただ土が柔らかいのか、切岸は弱く、だらだらっと下っているようにも見えます。

くずれそうな社を見上げながら、埋もれていく歴史を思い描いたりしました。

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1410西川城(愛知県) [城印象記]

愛知県豊橋市石巻西川町城山の西川(にしがわ)城を紹介します。

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大福寺の裏山になります。右側の道を進みます。

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虎口が見えます。平虎口のようですが、両脇の土塁は分厚いです。

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左の土塁の前を見るとくぼんでいます。わずかな凹みですが、空堀と思われます。

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大きな曲輪とそのまわりを囲んでいる土塁と空堀、そんな西川城です。

もっとも西側は果樹園になっているようなので、もう少し何かあったものが破壊されてしまったかもしれませんが、それはわかりません。

左に進むと、大きな土塊があります。櫓台になるのでしょう。

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その先も土塁が続いています。

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その土塁下に潜り込むと少し藪っていますが、空堀があります。

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西端はその空堀が堀切の様になって、その先にもうひとつ小さな曲輪がある構造になっていました。

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しかし、角度を変えてみると空堀も果樹園に入る通路に見えます。遺構を利用しているのでしょうが。

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ぐるっとまわって果樹園に入ります。縁は土塁になっています。

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反対の北側から北東方向にかけても、どうでしょう、うっすらと土塁があるようです。

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薮っているので探索は気が進まなかったのですが、踏み込んでみると、そんな土塁っぽい高まりは確かにあります。その先は切り立った崖でした。

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城の東側などは土塁が壊されたようでもありました。

ほぼ単郭の大きな曲輪と土塁、空堀といった構造ですが、まだ作りかけのお城だったのかなとも思われました。

この地を押さえていた西郷氏の城だったそうです。

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