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1415和歌山県広川町のマンホール [マンホール]

和歌山県広川町のマンホールです。

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デザインは同じですが、青みがかったようなタイプと、金色っぽいようなタイプのものがありました。

これって、金・銀・銅メダルを意識したの?と思ってしまいました。それは、ちょっと、オリンピック疲れでしょうか。

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中央には広川下流域で行われているシロウオ漁が描かれています。あの四角いのは四つ手網といわれるもので、川に組んだ櫓から網を沈め、シロウオをすくい取ります。

周囲には町の花ササユリと町の木アラカシです。

「ひ」を図案化した町章もあります。

マンホールには「ひろかわ」となっていますが、1996(平成8)年に「ひろがわ」に変更したと町のサイトの「広川町の沿革」には紹介されていました。

夜明けの広川町役場です。隣町ではありますが、湯川町から近く、マンホール画像を撮りに、ちょっとお邪魔しました。

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1414和歌山県九度山町のマンホール [マンホール]

和歌山県九度山町のマンホールです。

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中央は町章です。そして、町の木カキが描かれています。

あまり知らなかったのですが、紀の川流域は柿の産地で、和歌山県は都道府県別で柿生産が日本一だそうです。この九度山町もご多分に漏れず、柿は特産品なのでしょうね。

道の駅にも「柿の郷くどやま」とあります。

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九度山は、高野山開祖の弘法大師空海が月に九度母に会いに来たということから、九度山という地名になったそうです。

その母がいた慈尊院です。本堂の弥勒堂は国の重要文化財であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部になります。

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1413堂山城(愛知県) [城印象記]

愛知県豊橋市石巻中山町太陽寺跡の堂山城を紹介します。

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医神社の北東、山のふもと、というより山中といった位置にあります。

まずは医神社から向かいます。

地味な神社という言い方も変ですが、見つけにくいというか見落としやすい神社ですね。前を通り過ぎても気付きませんでした。近くの余白地に停めて、石段を登ります。

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けっこうな石段です。境内に社が見えて、ほっとひと息。

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目指す城は、右前方の山中です。境内をはずれると藪です。石段も辛いですが、斜面の薮も嫌なものですね。

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ななめ上に横断しました。適当に木々のある山に突入したのですが、あるではないですか、削平地が。うれしい瞬間です。

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歩き回ってみると、3段の削平地が確認できます。山中ですが、自然ではない人工的な遺構です。

段の間は、切岸状になっていました。

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ここには、かつて太陽寺という天台寺院があったそうです。大永2年(1522)に焼失という記録があるそうですが、その場所に堂山城はありました。八名郡誌に記されているそうです。

標高150m比高70mという山腹の位置です。

どんないきさつでこの地を城として利用したのか、わかりません。

削平地には、石が固まって置かれているところもありました。何か庭園でもあったのか、と想像されます。

そんな謎めいた堂山城でした。

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1412東三河の西郷氏とは

 昨日書いた萩平山城の近くにある西郷小学校の横にはこんな案内板がある。

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  西郷弾正と西郷校区

 西郷校区には、昔、小野田庄、太陽寺郷等の呼び名があった。西郷の地名は文明十年(1478)頃発生した。又佐井天神、西郷弾正に由来するか否かは未だはっきりしないが西郷氏勢が岡崎より来た頃西郷と呼んだと思われる。

 西郷氏は永正年中(1504-21)に嵩山に来て、天正十八年(1590)関東入りの時まで此の地を支配した。
 五本松城、西川城、月ヶ谷城を本支城とし、その周辺にいくつかの砦を配しており、今日その多くの遺構を見ることができる。
 桶狭間合戦の後、永禄五年(1562)遠州宇津山城主朝比奈泰長の軍に夜襲され、正勝、元正父子等七十数名が討死した。
 西郷清員(後の西川城主)が城を奪回し、西郷家を再興して数々の武功をたて、更に又清員の妹の娘、お愛(西郷局)が浜松城徳川家康の側室となり、二代将軍秀忠公を産み、
徳川三百年の礎となったことは西郷家の不滅の栄誉である。

 校区名「西郷」はこの西郷氏に由来すると考えられている。

      西郷郷土史会 (※一部西暦年を加筆)
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 以前から気になっている説明である。

 岡崎より来た西郷氏勢とは三河守護代だった西郷氏のことだろう。

 三河守護代西郷稠頼の子頼嗣は岡崎城(当時龍頭山城と呼んだ)を築城したが、北方から勢力を伸ばしてきた松平氏に屈服し、信光の子光重を婿として迎え入れ、大草(岡崎)松平となった。

 その大草松平もその後安城松平の清康に攻めらた。新しく岡崎城主となった清康の孫にあたるのが家康だ。西郷氏は、清康に攻められたその時にこちらに逃げ落ちて来たというのだろう。

 その西郷氏の娘を孕ませ、子が生まれた(秀忠)というのも、因果な話である。

 こんな話を聞くと、信光の子光重が岡崎に入り込んだ話も秀忠誕生にまつわる話の伏線として創作されたのではと勘ぐってみたくもなる。

 また単なる土豪である西郷氏を、こう脚色したのか、と思ったりもする。

 西郷氏のことは、気になる歴史だ。

 もっと確かなことを知りたい、と思うが、ただ思うばかりで何ら知識が増えることもなく、ただ時ばかりが過ぎて、年をとってしまった。もっと本を紐解きたいものなのだが・・。

 看板もずいぶん傷んでしまったことだ。

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1411萩平山城(愛知県) [城印象記]

愛知県豊橋市石巻萩平町城山の萩平山城(別名鷹打砦)を紹介します。

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県境の山の多い地帯の一番手前に位置する山です。平野部に進出するのにいい拠点になりそうです。

西郷小学校前から見た萩平山城です。西郷弾正の城と伝わります。

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登城口は北側にあります。山の上には、秋葉神社が祀られており、その参拝道になっているのでしょう。

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付近の道は狭く適当な余白地がないのですが、近くの公民館に停めさせてもらいました。

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登城口はこちらです。

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城のある頂上は標高156m、比高は約80mです。ゆるやかそうな山に見えましたが、やはり坂道はそれなりに厳しいです。

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途中、里の景色も望めました。西郷小学校が見えます。

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一気に登ると、割とあとはなだらかです。神社を目指します。

ひとつ堀切を越えると二の曲輪になるようです。細長く何となく平ら、といった地形です。

そして、堀切です。向うには社も見えます。

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くぼみはわずかで小さな堀切です。でも、現地ではもっと堀切らしく感じたものです。今度は社のある主郭側から見た堀切です。どうでしょうか。

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小さな祠があります。

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その向こうには、立入禁止が付けられた倒壊しそうな社がありました。

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その先にも削平地があります。このあたりが主郭でしょう。

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その先は腰郭です。切岸は鋭くはありません。

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一部腰郭を区切るように土塁状にのびている部分も見られます。

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その先には更に腰郭もあり、工夫された縄張が展開されているようにも感じられました。

ただ土が柔らかいのか、切岸は弱く、だらだらっと下っているようにも見えます。

くずれそうな社を見上げながら、埋もれていく歴史を思い描いたりしました。

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1410西川城(愛知県) [城印象記]

愛知県豊橋市石巻西川町城山の西川(にしがわ)城を紹介します。

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大福寺の裏山になります。右側の道を進みます。

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虎口が見えます。平虎口のようですが、両脇の土塁は分厚いです。

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左の土塁の前を見るとくぼんでいます。わずかな凹みですが、空堀と思われます。

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大きな曲輪とそのまわりを囲んでいる土塁と空堀、そんな西川城です。

もっとも西側は果樹園になっているようなので、もう少し何かあったものが破壊されてしまったかもしれませんが、それはわかりません。

左に進むと、大きな土塊があります。櫓台になるのでしょう。

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その先も土塁が続いています。

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その土塁下に潜り込むと少し藪っていますが、空堀があります。

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西端はその空堀が堀切の様になって、その先にもうひとつ小さな曲輪がある構造になっていました。

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しかし、角度を変えてみると空堀も果樹園に入る通路に見えます。遺構を利用しているのでしょうが。

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ぐるっとまわって果樹園に入ります。縁は土塁になっています。

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反対の北側から北東方向にかけても、どうでしょう、うっすらと土塁があるようです。

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薮っているので探索は気が進まなかったのですが、踏み込んでみると、そんな土塁っぽい高まりは確かにあります。その先は切り立った崖でした。

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城の東側などは土塁が壊されたようでもありました。

ほぼ単郭の大きな曲輪と土塁、空堀といった構造ですが、まだ作りかけのお城だったのかなとも思われました。

この地を押さえていた西郷氏の城だったそうです。

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1409照山城(愛知県) [城印象記]

愛知県豊橋市賀茂町比丘尼谷の照山城を紹介します。

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加納寺とその西隣がお城になります。南西に流れる牟呂用水から見ると小高い丘に見えます。

加納寺には駐車場はなく、付近も道は細いので、近くの照山公民館に車は停めさせていただきました。

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ここから東へ道を登ると照山城の北に着きます。案内がありました。

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道路は堀の外側です。手前の土塁を上がると、堀底に出ます。けっこうな竹藪です。手があまり入ってないのでしょうか。

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この堀底には井戸も見られます。もっとも竹で埋めつぶされています。

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一旦、上にあがってみました。落差は3mくらいでしょうか。空堀はしっかり確認できますね。

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堀を、今度は反対向きに見ました。

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一旦、堀が埋まっているようですが、再び西側には空堀があります。こちらは良好に観察できます。

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南側には空堀はありませんが、下の道路まで落差があります。

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上には広めの削平地が見られます。主郭でしょう。

細かい部分がきちんと確認できませんが、単郭のようで、単純な構造です。

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周囲にはうっすらと土塁が確認できます。

よく遺構が残っている方だと思います。中世の在地領主のお城なのでしょう。息遣いが感じられるお城でした。

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1408井伊氏居館(静岡県) [城印象記]

静岡県浜松市北区引佐町の井伊氏居館を紹介します。

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引佐町第四区公民館前に井伊氏居館跡の案内板があります。

(ここにマッピングしました。)

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 井伊氏の居館跡がこの地に想定されています。井伊氏の本拠は、平時を過ごした居館と北西に位置する井伊谷城で構成されていたと考えられます。
 天保15年(1844)、近隣の二宮神社神主中井直恕が現した『礎石伝』には、当時の居館の様子が描かれています。居館の周囲には、方形に土塁や堀を巡らすなど他にも多くの遺構が見られたことが伺えます。しかし、現在では宅地化が進み、南西隅に堀の跡が水路として残るのみとなっています。
 嘉永6年(1852)6月、井伊直弼公(彦根藩15代藩主)が居館跡を訪れた際に井伊大明神を詣で、近隣の史跡を巡覧し、居館跡の一角に残る「井殿の塚」の玉垣を寄進されたと伝えられています。

    平成29年3月北区まちづくり推進課

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井伊家屋敷想像図などもあります。

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そして、井伊氏居館の図です。

この図からこの公民館は屋敷の南の外であることがわかります。

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北を見ます。見上げた先には井伊谷城が見えます。

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そして、水路があります。これが、なんと居館の堀跡なんですね。少し曲がったところは絵図通り。これが堀の名残になるのかと見入ってしまいました。

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あとは宅地化されて、屋敷跡を感じさせるものはないのですが、水路は曲がって北へと延びています。確かに居館を囲む堀ですね。

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また、井伊氏居館の北西角には、井殿の塚があります。井伊直政の祖父、井伊直満とその弟直義を祀った塚です。今川氏に疑いをかけられ殺されたことは、大河でもやっていた通りで、涙を誘うエピソードです。

塚にはタブノキが大きく茂っています。

井伊直弼が寄進した玉垣も見えます。

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しっかりした案内板があり、「おんな城主直虎」を思い出しながらの井伊の郷の史蹟散策は楽しかったです。

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1407井伊谷城(静岡県) [城印象記]

静岡県浜松市北区引佐町の井伊谷(いいのや)城を紹介します。

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NHK大河「おんな城主直虎」で、きれいになった井伊谷城を再訪しました。

浜松市立引佐多目的研修センター前の駐車場に停めて、さあ出発。

登城口が見えてきます。

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頂上が井伊谷城です。徒歩15分・距離約300mと案内があります。

整備されて歩きやすいですが、急坂です。

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息があがります。途中、休憩所なども設けられています。

腰曲輪の名残か、とも思いましたが、縄張図などによると、そうではないようです。

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着きました。

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さすが、大河効果、案内板なども整備されています。

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 井伊谷城はこの地の領主である井伊氏が築いた山城です。標高約115mの山頂に、単郭式の曲輪が築かれています。山頂の北半分は自然の地形を残し、南半分は平らに均されています。曲輪の周りには土塁がめぐり、南側と西側に出入口をもちます。南側の出入口は大手に、西側の出入口は搦め手に相当します。大手口の両側には土塁が高く築かれており、防御を固めています。井伊氏の本拠地は、井伊谷城とその麓にあった城館に加え、最終的な詰め城である三岳城(井伊谷城の北東2kmに所在)で構成されていました。
 江戸時代の記録によると、井伊谷城は「御所の丸」と呼ばれていました。南北朝の動乱期(1336-1392)に、南朝方の拠点として宗良親王(後醍醐天皇の皇子)を擁した場所と関連づけられていたことがうかがえます。

  平成28年3月北区まちづくり推進課

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 実は登城口にあった説明とは違う内容なので、どちらもチェックを忘れないようにしてくださいね。(登城口の説明は、井伊氏についてより言及した内容になっています。)

 井伊谷城は単郭の城とあり、また違う説明板には縄張図もありましたが、古い単純な構造の城なのです。

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今登ってきた南の出入口、大手です。土塁が判ります。

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曲輪の北側は岩場になっています。削平されていません。

奥に「御所の丸」の案内がありました。

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木々のすきまから三岳城が見えます。

三つある真ん中の頂が三岳城です。

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南側はきれいに削平されており、先端には展望所が設けてありました。

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ふもとがよく見えます。

素朴な縄張りの城だけに、この眺望の良さがこの城の要なんだなと思われました。

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1406ポケモンGOでわざマシンを使ってみる

道具に「わざマシンノーマル」と「わざマシンスペシャル」がある。気になるが、わかるようでよくわからない。ちょっと時間があったので、試してみた。

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今、自分の中で最強ポケモンといったらバンギラスだ。cp3319。

弱っちいといってたバンギラスもここまで強くなった。

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更にバンギラスを強くさせたいと思って、バンギラスに照準を合わせていじってみた。

「わざマシンスペシャル」を使ってみるとこんな画面が出る。

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ちょっと不意を突かれた。今は「だいもんじ140」が使える。可能なスペシャルアタックの技が出てきて、いい技があれば変えてみようか、とくるのかと思っていた。でも、まず今の技を捨てるようだ。

で、でてきたのが、これ。

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「かみくだく70」。はあ、である。技が半減である。

なんじゃ、これ、と思ってたら、更に「わざマシンスペシャル」が出て変更できるようだ。やけくそになって、もう一回やったら「ストーンエッジ100」がでた。で、もう一回やって、「だいもんじ140」に戻した。

え、え、と思っているうちに「わざマシンスペシャル」を3枚消費してしまった。

性懲りもなく「わざマシンノーマル」でも、同じようなことをしてしまった。

「アイアンテール15」だったのを「かみつく6」にして、「アイアンテール15」に戻した。

何というか。バカみたい。

(技はランダムに変わるようだけど、あらかじめ最強技を調べておいて、それが出るのを待つ、という使い方をしなければ効果なし。そんなに特別な技があるわけでもなさそうだ。)

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よくよくチェックしてみると上位ポケモンは既に充分強そうな技を身に着けているようだ。こんなのもあるのか、という面白い道具かもしれないが、あまり役に立たない気がする。まあ、遊びだからいろいろある方が楽しいに違いないが。

気になっていたのに、なーんだ、である。

バンギラス、そんなことよりも、アメを手にいれなければ・・・である。

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