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1199愛知県安城市のマンホール追加 [マンホール]

愛知県安城市のマンホールです。(前回はこちら。)

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久しぶりに安城市街を歩きました。そこで思いがけず、カラーマンホールの発見。なかなか、いい感じのデザインマンホールです。たまたま、この1つを発見しましたが、ここだけの限定盤なのでしょうか。

新美南吉が取り上げられています。

日本を代表する児童文学作家と言っていいでしょう。若くして結核でなくなりますが、珠玉の作品群は今も読み継がれています。

愛知県半田市の生まれですが、この安城も所縁があり、女学校の教員を勤めていました。

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モニュメントの横には、何やら見えますね。

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街角に、ちょっとほっとするスペースです。

20代の南吉にしては老成してないか、と思ってしまいましたが、いいですね。

「花の木村と盗人たち」はこの安城高等女学校教員時代に書き上げた名作です。

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1198鳳来寺本堂の扁額(愛知県新城市) [扁額]

愛知県新城市、旧鳳来町の鳳来寺山にある本堂です。1,425段の石段を登り到着しました。

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小学校の林間学校がここであり、皆して石段を数えて登ったりしました。懐かしいですね。

この後、鳳来寺山山頂まで登りました。子どもの頃の記憶はほとんどなかったのですが、それもそうなのかなと思うような平凡な景色で、ただ山頂の案内があるだけとところでした。

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鳳来寺というと家康の生母於大の方がお参りして、家康を授かったということで、三河でも由緒あるお寺として知られています。が、鳳来寺本堂は新しく、歴史を感じないところでした。

なので写真も少ないのですが、本堂が開いているものと閉まっているものがありました。拝観時間があるのですね。

扁額も新しいです。でも、なかなかの力強い作風でした。

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1197鳳来寺仁王門の扁額(愛知県新城市) [扁額]

愛知県新城市、旧鳳来町の鳳来寺山に登りました。その途中の仁王門です。

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鳳来寺への石段が始まりかけた少しのところにあります。

仁王門は徳川家光の命で作られ、慶安4年(1651)徳川家綱が将軍の時に完成しています。現在は国の重要文化財です。

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江戸時代の法橋雲海の作と伝えられていますが、およそ3mの檜材寄木造の木造は力強いです。

また近くにあった石像にも惹かれるものがありました。

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入母屋の大きな仁王門の上に扁額は掲げられていました。

鳳来寺は大宝2年(702)の開山と伝えられ、扁額は光明皇后が手がけられたと伝わります。

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1196富士権現の扁額(新潟県南魚沼市) [扁額]

新潟県南魚沼市にある坂戸山頂上に富士権現の社があります。

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天正14(1586)年に直江兼続が勧請したそうですから、社も扁額も歴史あるものでしょうか。

坂戸城があった当時は、主郭で物見櫓があったともいいますから、富士権現社を祀ったのはわかりますが、社も扁額も往時を懐かしんで、祀り直したものかもしれませんね。

「富士権現」とあり左には署名もあります。雅号でしょう。青○書とありますが、○の字が読めません。字形はわかるのですが、くずした元の字がわかりません。草書を学びたい、と痛感します。

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1195野間館(大阪府) [城印象記]

大阪府豊能郡能勢町野間中の野間館を紹介します。

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府道4号野間中の交差点から南に入った圓珠寺の駐車場をお借りしました。ここから野間城・野間中城を見学するには便利です。

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目指す野間城は対岸の高いところです。そして、麓には居館があって、画像では左の旗らしきもののある左の茂み付近になります。城と居館がセットです。

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お寺の東側には田んぼがあって、野間屋敷と呼ばれる場所です。

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野間館と野間屋敷の意味の違いがわかりにくいのですが、野間屋敷は野間館より防御性の低い住居スペースという理解でいいのでしょうか。

もう一ヶ所、この地よりやや北東あたりも野間屋敷と紹介されている資料もありました。ここの方がやや高い場所になるので、それらしく感じるのですが、真偽のほどはよくわかりません。(両場所併せて野間屋敷かもしれませんが。)

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さて、橋を渡り山へと向かいます。まっすぐに進み、左へ折れて尾根先を目指します。田んぼが少しづつ高くなっていきます。こんな石垣がありましたが、これは田んぼのためのものでしょうかね。

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こちらは振り返った風景です。野間の里と言ったところでしょうか。

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山に入り込むと、こんな堀のような水たまりがありました。遺構なのか、気になるところですがよくわかりません。ただ居館跡の位置とされるところと、ややずれてはいます。

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この細長い水たまりの左手という位置に上がりこむと、いきなり削平地が広がっています。

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何か自然地形とは違った広がりで、やはりそれらしい雰囲気があります。

果樹園の跡地、とも思えないか、などと考えてみましたが、周囲には土塁が確認できます。

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あまり高いものではないので、それらしく撮影するのは難しいですね。

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東(更に左)には川があり、深く切れ込んでいます。舌状尾根の先という地形になっています。これなら、さほど高い土塁は不要でしょう。

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ほぼ単郭という構造ですが、上の方は、もう少し曲輪があるようでした。

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こんなところかな、と思って野間城を目指して登りを急ぎますが、その途中にも、段郭のような削平地が続きます。

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ただ四角になり、形が整っているので、ここは後世田んぼとして開拓され放棄されてしまったものでしょうかね。手持ちの縄張図にも遺構とは判断されてないようでした。

それにしても、それなりの規模を感じさせる野間館や屋敷です。

野間城が楽しみですね。

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1194仏称寺の扁額(大阪府豊能郡能勢町) [扁額]

大阪府豊能郡能勢町杉原32にある仏称寺の扁額です。

仏称寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、杉原城へ向かう時に訪れました。

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山号が書かれています。「龍粛山」でしょうか。書道は好きと書きながら、さっさく草書にお手上げで申し訳ない限りですが、残念ながらこの程度の力しかありません。「龍」は大丈夫と思うのですが、二番目が自信ないです。

まあ「龍がおごそかに進むところ」、悪くはないとは思うのですが。

シンプルな扁額です。

一気に書かれたような勢いが感じられます。

そんなに古くはないようですが、いつどなたが書かれたのか、わかりません。お寺の歴史もわかりませんでした。

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1193清普寺の扁額(大阪府豊能郡能勢町) [扁額]

デザインマンホールのストックが尽きてしまった。そこで、何か手軽に書けて続けやすいもの、と探し考えて気が付いたのが、こちらの「扁額」である。

書道は好きで、字を見ることなども好きで、しばらく前から撮りためていた。

旅の記念に、いろいろ見たという証にというそんな気持ちもあったが、ファイルに格納されるばかりで、今まで整理したことはない。

扁額のコレクションって聞いたことがないけど、面白いものになるかどうかわからないが、こだわりをまとめるのも何かきっと面白みがあるのだろう。

この機会にブログ記事掲載を兼ねて整理していこう。

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まずは、大阪府豊能郡能勢町地黄の清普寺である。

ここのことは、地黄城の移築門のこと能勢一族の墓のことを書いた。

本堂に掲げられた扁額で、「精進日慈書」と左には書かれている。

お寺の説明には日乾上人の弟子日然上人が慶長6年(1601)に開山したとあるが、日慈上人は、いつの人か、どんな人かはわからない。

情報はわからないことばかりだが、字は味のある字だなぁと思って眺めた。

こんな情報と感想しかないのだが、ここから時間を遡ってストックを掘り起こしていこうと思っている。

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1192能勢丸山城(大阪府) [城印象記]

大阪府豊能郡能勢町地黄の能勢丸山城(摂津丸山城)を紹介します。

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見学を終えてから偶然にも気が付いたのですが、国道477号線東郷バイパス沿い、地図で言えば丸山神社の東、小道に入る入口に案内板がありました。

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   地黄古城 丸山城跡

        大阪府豊能郡能勢町地黄
        標高281m比高50m

 この丸山城は長元年間(1028-37)源頼光の子頼国が摂津から丹波へ通じる交通の要所であるこの地に城を築き能勢氏を称し代々ここを居城とした。
 城郭は北から南へ延びる尾根の先端を深い堀切を設け、尾根を区切り、北より本丸、二ノ丸、三ノ丸、廓など一列に並び細長くなっている。
 史跡は中世の築城様式特有の土塁、竪堀、空堀、帯曲輪等が設けられ防御に優れた山城で幾度も戦いが繰り返されたが、その都度退け、500年余り守り続けた遺構が原形のままで残されている。

 城 名 丸山城(地黄古城)
 所在地 能勢町地黄
 規 模 200m×120m
 標 高 281m
 比 高 50m
 遺 構 土塁、虎口、立土塁、削平地、井戸、竪堀、空堀、堀切
 城 主 能勢氏累代
 年代推定戦国時代

           能勢地黄城築城400年祭紀念事業(2015・4)
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一部表記を修正させてもらいました。熱意はあるのですが、ちょっといただけない感じがする記念事業ではありますが、説明は嬉しいです。

縄張図付きです。

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実際には、清普寺の見学を終えたあと、登城しました。車は、そのまま清普寺の駐車場を利用させていただきました。

こちらから見る丸山城は、丸山に見えます。

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この小山の右1/3あたりに登城道があります。田んぼや害獣よけの電線もあるので、まわりこむように山に入ります。

入口に石造九重塔があります。

鎌倉時代(弘安11(1288)年)のもので能勢氏の武威と経済的な力を感じさせるものです。大阪府の有形文化財です。

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もう少し行くと「史跡城山城跡」という棒杭があります。こんな登城口・登城道ですが、大手口にあたります。

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登ること数分で南郭に出ます。

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振り返ると社が祀られています。丸山神社でしょう。

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社のある北へと足を進めます。背後には切岸状になった削平地があります。

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主郭です。

さほどは広くない削平地で、詰まらない風景ではありますが。

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主郭の周りは帯郭が巡り、よく切岸がわかります。

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北へと、二郭へと、進みます。間に小さな堀切です。

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そして二郭の先は狼煙台跡とありました。うっすらとわかる程度の遺構です。

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しかし、驚いたのはこの突端から覗き込んだ谷です。縄張図を持って歩いているので様子もわかっているつもりなのですが、この落差は意表を突かれました。

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振返ると二郭と主郭との接続部が見えます。この虎口がいい感じに思えます。

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二郭から降りてきて、その先の北郭を見たところです。少し高台になってます。

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しかし、振り返って見る二郭が高い位置です。堀切の案内がありました。プラス切岸ですね。自然地形を利用しているのでしょうが、敵を寄せ付けぬ高さです。

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北郭の周囲も郭があり、防御拠点になっているようです。単純そうでなかなか複雑な組合せです。

そして、その先も大きな落差があり、道路に面していました。

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低い山ですが、その比高を十二分に発揮させているところが素晴らしいですね。

一直線に並んだ縄張で、簡単なようで複雑なところがあって、それは長い歳月を使われたからなのでしょう、またコンパクトな城にも感じました。

再び戻って南郭からの眺望です。地黄城がすぐ近くに見えます。

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1191清普寺の能勢一族の墓

地黄城の移築門を見に訪れた清普寺であるが、能勢氏の菩提寺にあたり、一族の墓所もあった。

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これが素晴らしく圧倒された。

能勢氏はこの地方の豪族で、国人領主ということは理解していたが、これほど由緒があり、一族が根付いていたのか、と立ち並ぶお墓から感じられた。

もっとも、お墓には特別な説明がない。

わかる人をと思い、何とか能勢頼次のお墓を確認した。

能勢頼次は地黄城を築城し、焼払われた城下を再建した人で、関ヶ原の合戦で東軍に組みし、その後の基礎を作った人だ。

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「能勢家中興の祖/能勢頼次公/六十五才」と案内がある。

能勢氏は摂津源氏の流れを汲む一族で、源頼光の玄孫国基を祖とする、そうであるが、不明な点も多いらしい。

だから、きちんとした案内も付け辛いのだろう。残念だ。

源頼光まで遡れは平安中期になってしまい、お寺を創建した能勢頼次から見ても何百年前のことで、とてもお墓など物理的なものはないのだろうが、これらの多くのお墓は頼次前後から、数家に枝分かれした江戸期の一族のもののようだ。それらが立派に立ち並ぶのも、宗家が地黄城(地黄陣屋)を拠点に旗本として存続したのが大きいのだろう。

祖先を祀るということは大切なことだ。そんな意義を実感した。

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1190地黄城移築門-清普寺表門 [移築城門]

地黄城の武家門が近くの清普寺に移築されていると聞いて訪れた。

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この正面の山門、表門がそうなのだろう。

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小ぶりな瓦葺の薬医門だ。

右の門扉。

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左の門扉。

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シンプルな構造。

そして裏から見たところ。切妻造りで鯱鉾が上がっている。

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ただ移築されたことは、案内板には何もなかった。

能勢頼次が父の菩提を弔うため創建したしたのが始まりで、能勢家と縁が深く、移築建築物があっても不思議ではないのだが、説明がないのが落ち着かない。

そもそも、お城のどの位置にあった門なのだろう。

また本堂は地黄城大広間の移築らしい。

こちらもそんな説明はない。それが、ちょっとスッキリしない見学になってしまった。

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