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1165中山城(群馬県) [城印象記]

群馬県吾妻郡高山村中山字城内の中山城を紹介します。

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国道145号線沿いに駐車場があります。そこには、碑と案内板があります。

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まだ新しいものです。

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   中山城跡

 群馬県史は、当中山城と昭和村の長井坂城の築城方式は、同じ半折囲郭構造で、驚くほど似ていると指摘しています。そして、その築城者は共に小田原北条氏によるとみています。
 その縄張り(構造)は、本丸(主郭)を北・西・南の三方から囲むような形で二の丸(副郭)を設置し、堀切と土居で防御をし、二の丸を囲むような形に三の丸が造られ、これに付随して更に多くの曲輪が配置された、要害堅固な城郭といえます。
 なお、このような縄張りとなった築城年代は、北条氏が上野国の主要部分を制しながらも、眞田氏との勢力が触れ合う「境目の城」という性格から、天正10年(1581)と推定され、天正18年の北条氏の滅亡頃に廃城となりました。

   平成28年10月  高山村教育委員会(撰文平形作太郎)

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お城へは案内も出ているのでわかりやすいと思います。中世山城ですが、整備もされていて、見学しやすいお城です。

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もっとも、こんなふうに一直線に本丸へ向かう道があったわけじゃないですが。

四角く土塁で囲われた削平地があります。祠も置かれています。

主郭です。

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ここにも案内板があり、説明が若干違うので掲載しておきます。

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   中山城跡

 中山城は立地上は土囲式丘城、構造上は本郭が一側に偏し半円形をした半折囲郭式で、この地域では最も新しい構造で、長井坂城と共に小田原北条氏が築城したものです。
 ここ本丸は、一辺約60mの正方形に近く追手は南、搦手は北にありました。二の丸は本丸の北・西・南を囲み、三部分に分かれ、本丸との間は空堀で深く、堀底は通路を兼ねていました。その外側西・南に三の丸が付き、更に腰曲輪等が付属しています。
 なお、このような舌状台地での縄張りでは、最も安全な先端部を主郭とするのが普通ですが、この城は、北条・眞田の覇権争いの中、領国の境界にある「境目の城」からか、本丸が舌の付け根に偏った構造となっています。
 この縄張りでの築城は天正10年(1581)、廃城は天正18年(1590)は下らないといわれています。

   平成28年10月  高山村教育委員会(撰文平形作太郎)

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案内板には縄張図も載っています。

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舌状台地突端の城としては、変わった縄張です。写真映えはしませんが、他の山城とちょっと違うものを感じると、縄張図を持って歩くのも楽しいですよね。

三の丸から本丸を眺めたところです。

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こちらは二の丸です。画像左が本丸です。

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こうして見ると、守りの重視の城であり、近世の平城の縄張りに近いものを感じます。もっとも、この城が使われたのが戦国後期のことではあります。

本丸周囲の空堀を見ると、鉄砲の時代のものを感じます。

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緑が濃くなっていましたが、整備されており、充分楽しめた丘城でした。

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